幼年期の終わり

  • 2008大学読書人大賞 受賞作品

    『幼年期の終わり』

  • A.C.クラーク
  • 光文社古典新訳文庫
  • 780円(税込)
  • 2007年11月
  • 地球に突如現れた大宇宙船団。オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる彼らは、人類を理想社会へと導いていく。彼らの真意は? 人類はどこへ向かうのか? なお、新しい第一部の訳が読めるのは、この光文社版だけ。

技術が社会を変える

推薦文No.5-4
早稲田大学現代文学会

 「幼年期の終わり」は、SFファンの中では「SFの古典」としてみなされてきた。

光文社からの新訳が出るまでも2つのレーベルから発行され続け、SFの各種オールタイムベストにおいても常に上位を占め、SFの古典としての地位は確立されていたといえるが、本当の意味で古典といえるかどうかはわからなかった。だが、光文社古典文庫にこの新訳が入ったということは、「幼年期の終わり」がSF界だけでなく文学全体の古典として認識されるようになったという点で大きな意味をもっていると考える。
 しかし、「幼年期の終わり」は1953年に書かれた小説であり、発表からは半世紀以上たっている。このため、現在では、SF的なガジェットで古くなってしまったものが多い。この小説は、科学技術が現在よりはるかに発達した未来を描いているはずなのに、インターネットでなくファックスで新聞が配られているのはその最たるものである。また、この小説で使われた印象的なイメージの一つである「大都市に浮かぶ巨大な宇宙船」は後発の数々のSF作品に使われてしまい、現在では目新しいものでなくなってしまった。だとしたら、この小説を今、私たちが読む意味は何だろうか? この小説を推薦する意味はSFが古典としてみてもらえるようになったことに対する個人的な喜びにすぎないのであろうか? 結論からいえば、この小説を私たちが読む意味はある。それは、わたしたち人類が向かう所とは? ということを私たちに考えさせてくれ、さらに、新しい社会のかたちを想像させてくれる小説としてだ。
 「幼年期の終わり」では、外宇宙から、人間をはるかに超えた力を持つオーバーロードたちがやってきて、彼らが国際関係を完璧に利害調整したことにより、国民国家が解体される。このことが現実に実現するかを考えてみると少しアヤシゲに見えるかもしれない。ただ、それは私たちがオーバーロードのような絶対的な存在を持たないからそう感じるのかもしれない。人間が本当の絶対的存在になることはありえないが、人間以外の絶対的存在はありうるかもしれない(SF的想像力においては特に)。SF的想像力の中ではこのような新しい社会の可能性を考えてみるのも良いかもしれない。
 小説中、オーバーロードの出現により人類の歴史は大きく進み、変わっていった。このことはオーバーロードが保護者になったことが理由であるが、突き詰めてみれば革新的な技術が入ったことも大きいのではないだろうか。私のような文系人間の場合は技術というものが社会そのものを変えてしまうという事実を認識しないことが多い、特に小説のような世界では。だが、この小説はそのような人間にも技術が社会を変えていく可能性を強く認識させる。
 大多数の大学生はモラトリアム的な世界に生きている。だが、次の社会を担っていく日はいつかやってくる。大学生に勧める小説なのだから、社会の変化する可能性や、新たな社会のかたちを想像させる小説であるというのでは一つのポイントであると考える。社会は確実にどこかに向かっているが、私たちは行く先を知らないし、もしかしたら向かっていること自体もわからないかもしれない。だが、その向かう先に一つのヴィジョンを与えてくれるこの小説はSF好き嫌いを超えて大学生に薦めるべき小説であると考える。もちろんこの小説はエンターテイメントとして読んでも面白いし、特に第三部ラストの叙情的イメージの美しさは比類ないものであるといえる。

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