幼年期の終わり

  • 2008大学読書人大賞 受賞作品

    『幼年期の終わり』

  • A.C.クラーク
  • 光文社古典新訳文庫
  • 780円(税込)
  • 2007年11月
  • 地球に突如現れた大宇宙船団。オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる彼らは、人類を理想社会へと導いていく。彼らの真意は? 人類はどこへ向かうのか? なお、新しい第一部の訳が読めるのは、この光文社版だけ。

最優秀推薦文

虚構の中に未来への姿勢が垣間見える

推薦文No.5-1
法政大学もの書き同盟

 『幼年期の終わり』は1953年に発表され、以後世界的に愛され続けていまだに多くのSFファンから熱い支持を受けている作品である。1989年に冒頭部分が丸々新しく書き下ろされ、今回光文社より古典新訳文庫として発刊された『幼年期の終わり』は、その1989年版の初邦訳ということになる。

1953年に書かれたものをもう古典として出版するのか、という気もしないでもないが古典という言葉そのものも多義的であり、おそらくはいつの世にも読まれるべき価値・評価の高い作品として『幼年期の終わり』はここに名を連ねることとなったのだろう。
 手始めに物語のあらすじを簡単にまとめたいと思ったが、逆にそれは未読の読者を遠ざけることとなる気がするので、ここでは自粛しておく。言葉とはコミュニケーション(伝達)の最大の手段でありながら難解不可解なものである。文字は点であり、文は線、文章は面で、項が空間とすればそれらを立体的厚みを以て積み上げてできた小説とは時空なのである。それを文章という面で表現するのは言葉の奥行きを持って表現をしなくてはならず、それは読み手と書き手にとって乖離することが甚だある。SFの分野における場合、それは特に顕著だ。一枚の絵は百万の言葉に値するというが、絵心のない人間には一枚の絵よりも百万の言葉を読み解く方が早い時もある。ここで自分がこの文章一枚に精一杯絵を書くよりも『幼年期の終わり』を一冊読むほうがその魅力は断然伝わるだろうと信ずるものである。
 しかし、全く話に触れないのでは紹介文にはならない。なのであえて言葉を選ぶのならば、『幼年期の終わり』とは人類の成長と進化、それが行き着く未来を果てなく夢想する物語である。ここにおいてその未来を夢想するのは人類をはるか高みから見守り続ける異星人、オーヴァーロードである。その姿勢は親の子供を見つめるそれと重ねられ、人類はいまだ幼年期の途上にある幼子と扱われるのである。その視点において、もはやクラークの視点は地球人のそれを圧倒しているかもしれない。
 オーヴァーロードの宇宙船が地球の上空に現れた新時代の到来において、クラークは次のような表現をしている。
 ――人類がこれまでたどってきた歴史に終止符が打たれたのだ。
 ――この刹那、歴史は息を潜め、現在は自らを過去から切り離した。
 ――人類が成し遂げてきたすべてが意味を放棄した。
 ――人類はもはや孤独ではない。
 ここにおいて人類はようやく胎から誕生し、ついに外界の世界と触れ合ったのだという描写であろうと、自分はとらえている。そして、ここから人類の幼年期は始まるのである。絶対的な科学力を誇るオーヴァーロードからあらゆるものを享受し、またその真意を探ろうとする。オーヴァーロードも人類の成長(進化)の手がかりを求める。その行き着く先を今ここで言うことはできないが、その結末は即決的な判断を受け付けない。ただそこには人類の一つの進化の形があり、それを見つめることしかできないオーヴァーロードの姿勢もまた生命のあり方であると思った。どちらが生命らしく、より求める姿であるのか。変わるということ、それを否定して捉われるということはどういうことなのか。うがった見方をすれば、その二つの姿勢は東洋的と西洋的に分けられるかもしれない。しかし、おそらくは実際にその時が来ても決めることのできない哲学的な命題であろう。
 また、そのラストに向けての第三部『最後の世代』は間違いなく読者の宇宙に対する認識が広がると思う。進化を始めた人類が見る宇宙の壮大な姿。ただただそのクラークのイマジネーションの巨大さに読者が魅了されることは、おそらく間違いないと思う。
 世代をわたって繰り広げられる人類の進化とその末路、それを見つめるオーヴァーロード。人間の等身大の物語から宇宙的規模までのスケールの広がり。虚構の中に確かに人類の選択しなければならない未来への姿勢が垣間見える作品である。

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