AURA

  • 『AURA』

  • 田中ロミオ
  • 小学館
  • 660円(税込)
  • 2008年7月
  • その日、教科書を忘れた俺は、夜半に忍び込んだ学校で魔女と出会った――。崩壊する日常。跋扈する妄想戦士たち。そして襲い来る敵。「世界に不思議なことはあってもいいんだ」。田中ロミオ、渾身の学園ラブコメ!

最優秀推薦文

物語がどうしようもなく好きな私たちへ

推薦文No.1-4
筑波大学筑波文学の会

 この小説は「学園ラブコメ」だ。主人公の佐藤一郎とヒロインの佐藤良子が紆余曲折の上に結ばれる話だ。推薦文を始める前に、そのことを最初に主張しておく。
 さて、この小説に登場する重要な単語に「妄想戦士」がある。一郎が生み出したこの言葉は、物語みたいな設定がまるで本当に自分にあるかのように振る舞う人たちの事を指す。良子は自分が異世界人だと名乗る「妄想戦士」であるし、良子以外にも、似たような振る舞いをする人々が沢山登場する。一郎もかつて「妄想戦士」だったことがあり、彼はそんな振る舞いをするクラスメイトたちにうんざりしている。また、そのような「妄想戦士」と、それ以外の「普通」のクラスメイトたちの対立も描かれ、語り手である主人公の「妄想戦士」たちに対する態度が否定的であるので一層「妄想戦士」たる彼らの姿が「痛々しく」見えてしまう。
 では何故、この「妄想戦士」たちの存在は「痛々しく」小説の中で描かれているのか。それは、「妄想戦士」たる彼らの態度を、他ならない私たち読者が「痛々しい」と思っているからだ。
 小説に限らず、物語を好む人にとって、物語とはただの「絵空事」ではないと思う。私たちが物語を楽しむのは、そこに私たちにとって重要な何かが描かれているからではないか。
 そして、「妄想戦士」たちは私たちが物語から受け取るべきその何かを間違って体現してしまっているように見える。それは物語の中から都合のいい現実逃避だけを浮き彫りにしているように見えて、物語に多く触れていればいるほど、その姿はある程度理解できるが故にとても格好悪く見えてしまう。だから、この小説のクライマックスで、現実に絶望し、校舎の屋上から飛び降りて「異世界へ生還」しようとした良子を止めた一郎の、まずは「普通」を努力しよう、という言葉は、それまでの物語の流れも相まって、とても説得力のある、共感できるメッセージとなっている。
 しかしながら、ここで忘れてはいけないのが、「妄想戦士」も、佐藤一郎も、フィクションの存在だということだ。だから、彼らは私たち読者にとってテーマ的な意味で非常に都合が良い。私たちは、彼らを否定することで語られる物語への態度はマッチポンプ的、すなわち、彼らが物語のために体よく配置されている存在だ、ということを自覚しなければならないだろう。だからこそ、私たちはこの小説を読むことで、そういう意味で物語とは何かを考えることが出来る。
 最初に主張したように、この作品は「学園ラブコメ」であり、エンターテインメント作品だ。だから、私たちが楽しかった、感動した、といえる作品であればそれで十二分であり、その点でいえばこの小説はテーマが読者の実存に関ってくるという点で、読者の感情を強く揺さぶるだろう。娯楽作品として、この小説は優れていると思うし、それはとても価値があることだ。しかし、それ故に、ただ素朴に、この小説どおりに「妄想戦士」たちの振る舞いを「痛々しい」と否定し、一郎の姿を素直に肯定してしまうのであれば、それは「妄想戦士」達の想像力と何も変わらない。
 だから、大学生としては、この作品でのマッチポンプ的な欺瞞も自覚しつつ、一郎の答えを通して、私たちはどのように物語への態度を取るべきかを考えてみてはどうだろうか。逆に言えば、そのような議論が出来るだけの価値がこの作品にはある。だからこそ、物語を好む全ての大学生に、この作品を推薦したい。この作品は確かに「学園ラブコメ」であるが、私たち読者はこの物語に更に価値を加えることが出来るのだ。

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