好き好き大好き超愛してる。

  • 2009大学読書人大賞 受賞作品

    『好き好き大好き超愛してる。』

  • 舞城王太郎
  • 講談社
  • 520円(税込)
  • 2008年6月
  • これは「恋愛と小説」の物語である。恋人を亡くした小説家と遺族の交流を描いた連作短編「柿緒」を主軸として、その間に「愛と別れ」をテーマに据えた三つの不思議な物語を挟んでいる。過去に四六判、新書で刊行。

祈るように愛するということ

推薦文No.3-4
慶應義塾大学慶應ペンクラブ

 愛は奪うものだ。世界中のあらゆる人たちから、たった一人だけを選び取る辛辣な行為だ。だからこそ愛は美しく、激しく、痛みを伴う。もしも愛というものが、お互いを認め合い、お互いに与え合うだけで完結するのならば、私たちは苦しい気持ちを抱かずに人生を送っていけるのかもしれない。しかし私たち人間は、あまねく人を愛することはできないように創られている。
 この小説は、安藤治という名の小説家の男性と、彼の恋人、吉村柿緒との恋愛と死を軸に綴られている。文章の途中に挿入されるいくつかの短編は、小説家である治が柿緒の死に影響を受けて書いた作品群だろう。それらの作品では、様々な切り口で愛と死が描かれている。生死という大きな溝を超えて、人は人を愛し続けられるのか。流れる時の中で絶えず変わりゆく各々の価値観を、どこまで認め合えるのか。治が描き出す物語の中で、死にゆく女性たちは口を揃えて、パートナーの男性に問いかけている。いくつもの虚構が絡み合い、愛というモチーフを複雑に仕立てている。
 作品中で、愛はすなわち祈りであると繰り返し述べられるが、そもそも祈りとは非常に閉鎖的で、自己中心的な行為だ。死を目前に控えた柿緒に向かって、治は、これから「一生」、「絶対に」他の人を愛さないと宣言するが、この誓いもある種の祈りの形態だろう。なぜなら、終結したひとつの愛を永久に保つことはほとんど不可能と言っても良いほどに難しいからだ。治はいつか他の女性と出会い、柿緒以上にその人を愛するようになるかもしれない。そして柿緒も、心のどこかでその未来を悟っているかもしれない。だからこそ治は、自分の言葉が非常に陳腐なのではないかと苦しむのだが、永遠の愛が容易には達成されえないことを理解した上で、それでも彼は刹那を誓い、自身の未来を束縛せずにはいられない。ひと組の恋人がお互いの人生の一端を共有し、手を取り合って愛を確かめるときに、たとえその約束が死によって反故にされ、いずれ破られるかもしれないとしても、これ以上に心を打つ告白があるだろうか?
 治は、柿緒との死別を物語の根底にして私小説めいた作品を綴ることは、恋人を汚すことに繋がるのではないかと絶えず自問自答する。愛情を文字にして紡ぐこと、気持ちが溢れ出るままに言葉で表現すること、それらが逃避にはならないかと悩む。もちろん、小説において愛と死を絡めたテーマが用いられることは今も昔も非常に頻度が高く、それゆえに、純愛の物語は平凡でありきたりだと思われるかもしれない。しかし、彼が恐れていたのは、そのような普遍的な問題ではなく、もっと私的で混沌とした感情の発露の悲惨な結末、つまり、自らの愛が言葉という形をとって昇華され、周囲に対して、あるいは自分自身に対しても、まるで過去の綺麗事のように映ってしまうということへの抵抗なのではなかろうか。
 愛の一瞬間を掬いあげて表現することは、あまりにも不完全で、そして自分本位な行為のように感じられる。しかし治は、生と愛が切って切り離せるものではないと気付いたときに、愛=祈りの本質を見出す。愛は相手のためを思って捧げるものではなく、自らの抑えがたい衝動に駆られて表現するものなのだ。自分たちの恋愛がこれからどのような結末を迎えるのかという不安を秘めた推測でもなく、あるいは寂しさを紛らわせるための慰みでもなく、この世界の中で生きる自分自身が、たった今この瞬間にもあなたを愛しているのだという主観的な感情の高まりを結晶化して、素直に叫ぶ彼の姿を、一体誰が否定できるだろう?
 この作品は、手に取る読者が気恥ずかしくなるようなタイトルがつけられているが、その題名に引けを取らない直球の物語が綴られている。真正面から恋愛の本質を投げかけられたときに、現代を生きる我々大学生たちは、愛という不安定で曖昧な概念にどんな価値を見出すだろうか。

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