とある飛空士への追憶

  • 『とある飛空士への追憶』

  • 犬村小六
  • 小学館
  • 660円(税込)
  • 2008年2月
  • 自国の次期皇女をのせ、傭兵飛空士が敵包囲網突破任務に挑む。混血のために差別を受ける主人公と、決められた未来が不満なヒロインの切ない恋。そして絶望的な状況を凌ぐ空中戦の二つが織りなす、王道ファンタジー。

それぞれの思い

推薦文No.5-2
京都ノートルダム女子大学文芸同好会

 あなたはこの戦闘機に乗る勇気がありますか。
 下級飛空士シャルルに託された試練。
 「次期皇妃を水上偵察機の後席に乗せ、中央海を単機敵中翔破せよ」

 シャルルに与えられたのは、敵機の機体性能には遠く及ばない戦闘機。そして、離陸直後におとりとなる仲間たち。
 委ねられたのは次期皇妃ファナの命。シャルルは後部座席に次期皇妃を乗せ、敵軍のテリトリーをたった一機で突破せねばならない。そして、遠く離れた皇子のもとへファナを送り届けるための裏方を務めるのが任務だ。失敗はシャルルの命のみならず、ファナの命をも失うことを意味する。失敗は許されない。
 これは極秘任務。敵に気付かれずに飛行できるかどうかが成功のカギを握る。しかし、皇子が、次期皇妃を愛するあまり犯してしまった過ち。それは・・・機密漏洩(無自覚)。ただでさえ悪条件なのに、さらにリスクは高まった。そのくせ、成功しても名声も名誉も栄光も得ることはできない。それが下級飛空士の定め。それでもシャルルは飛ぶ。飛空士には空こそが、「己」を得る場であるから。そして、シャルルは持っている。機体性能で負けていても、飛空士としての技術では劣らない自信を。
 物語の冒頭で、ファナは心を閉ざし、玻璃の中から世界を見ていた。自分のことであっても、第三者であるかのように、自分には関係のない世界であるかのように、周囲の動きを眺めていた。ファナの思いを受け止めてくれる大人のいない世界で会得した、ファナなりの心を守る方法だった。しかし、空に飛び立ち、生きるか死ぬかの狭間で彼女はただの「人形」ではなくなっていく。笑うこと、泣くこと、怒ること・・・ファナは「自由」な空で、シャルルと共に過ごす時間の中で、殺していた感情を次第に取り戻していく。
 そして、この旅は二人にとって未だかつて飛び込んだことのない非日常への飛翔。その非日常は、危険であっても彼らにとっては「個人」として生きる束の間の時間。つまり、彼らが彼ららしく生きられる時間なのだ。しかし、シャルルは、これが「真夏の夜の夢」と同じく、短いことを知っている。そして、受け入れている。もちろん、ファナも知っているが、ファナはこの束の間の時間を諦めようとはしない。次第にかけがえのないものとなっていった、シャルルとの時間。ファナが人形ではなく「人」として生きる時間。これを永遠のものにしようと、ファナはもがき続ける。束の間の時間に育んだ「心情」を短い夢と割り切ることなんてできない。自分をとりまく現実は、流されるのではなく、自分の意思で決めたい。終末ではそんなファナの思いが伝わってくる。
 そして、この物語でもう一人、読者の心を掴むであろう人物がいる。この物語の見どころは手に汗握る空中戦やファナの切ない恋心。これらと同じように心を震わすのが、誰でもないファナの夫となる皇子である。
 下級階級の国民を「猿」とののしる姿に恨みや妬みといった暗い感情はなく、誇りに満ちた威厳しかない。敵国との戦力差はもはや明らかではあるものの、自分たちの勝利を信じて疑わない直向きさ。また、ファナを愛するあまり、軍事用連絡線を私用で用い、彼女の安否を気遣う健気さ。そして、彼女を守るために部下の犠牲を意としない、猪突猛進なまでの純粋さ。そこから彼の微笑ましい人間味を感じられる。
 そして、そんな彼の愛と誇りを守るため、彼に仕える者たちは、奔走する。どうすれば彼の名誉を傷つけずに済むか。それを何とか成し遂げようとする部下たちは、まるで泣き虫の子供をなだめる母親のようである。そう思うと、なお皇子が可愛く思える。
 シャルルの空への思い、ファナの玻璃の世界、皇子の純粋さ。これらが重なり合ったとき、命がけの空の旅の物語が生まれた。

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