容疑者Xの献身

  • 『容疑者Xの献身』

  • 東野圭吾
  • 文藝春秋
  • 660 円(税込)
  • 2008年8月
  • 不遇の天才数学者、石神は、自らが密かに思いを寄せる隣人の殺人を知り、彼女のために完全犯罪を仕組む。これに挑むのは、石神の旧友であり、物理学者の湯川。天才同士の攻防から意外な結末まで、見所多し。

「推理小説」に潜む文学的要素

推薦文No.6-1
旭川医科大学図書館部

 推理小説というと、皆さんはどのような印象を持つのだろうか。殺人事件が起こり、それを探偵なり刑事なりが解決していく。動機も犯罪には必須の要素であるから、犯人やその周辺の感情の面も強調されるものの、結局推理小説の持つ面白さは「謎解き」の面白さである、という印象を持ってはいないだろうか。しかし、例えば古典落語やクラシックミュージックなどを考えてみてほしい。何度も何度も同じネタや演奏をしている。客もすでに結論は知っているはずである。であるのに、客は何度も足を運ぶし、CDやDVDなどを購入してまでも、同じ結論を味わおうとする。つまり、結論だけがその芸術の価値を決めるわけではない。推理小説で言えば「謎解き」だけが魅力ではないということである。
 その中でも東野圭吾の書く推理小説は、推理小説でありながらも「謎解き」だけではなく、人間関係などにも軸がおかれていて、単なる小説として読んでも、登場人物の感情、行動に感情移入することが出来ると思う。少し変なたとえだが、「一粒で二度おいしい」小説だと思う。それは、東野圭吾がスターダムとなるきっかけとなった小説「放課後」においてもよく表れている。女子高生の微妙な心情が、殺人という結果につながる流れが、違和感なく描かれている。この心理描写のうまさが東野圭吾の魅力であると思う。
 さて、話を「容疑者Xの献身」に移そう。大まかなストーリは省くが、大きく分けて、二つの大きな人間関係の軸が存在している。一つは小説の世界内での最高学府だと思われる帝都大の同期生である「湯川、草薙、石神」という軸、もう一つは今回の主犯である靖子に恋愛感情を抱く「靖子、工藤、石神」という軸である。さらっと主犯の名前を出してしまったが、靖子とその娘美里が主犯であり、その証拠隠滅のために石神が動くという点までは説明しておかないと、この小説の魅力を伝えることは出来ないし、ほんの33頁までで、全体で言えば8%の内容でしかない。しかもこの小説は犯人探しが主題ではない。「罪と罰」のように、最初から読者には犯人は分かった状態でストーリーは進むのである。なのでご容赦いただきたい。
 話を戻そう。まず最初の軸で言えば、湯川は物理学者で帝都大の准教授である。推理能力も高いので、友人で同期の刑事である草薙の協力をする。石神は数学者であるが、諸事情で大学教授への道へと進むことは出来なかった。しかし能力だけで言えば大学教授になっていてもおかしくない人物である。この三人の事件を隠蔽出来るのか出来ないかの鬩ぎあい、特に大学時代に互いを好敵手として認め合い、再会後も好敵手だと認め合っている湯川と石神の人間関係の妙が、読者にカタルシスを与えるのである。
 また二番目の軸で言えば、工藤はモテる男、石神はモテない男である。靖子は特別な信念を持った女性ではないので、当然工藤に引かれていく。工藤は女性に対する振る舞いも心得ているが、石神は心得ていない。そのため石神は独自の方法論で、靖子に愛を伝えるために隠蔽工作に身を投じていくのである。
 途中で「石神はただキモいだけの数学ヲタ」とか思うかもしれない。しかし普通に読み進めていけば、そう思わせるのも作者の伏線に過ぎず、最後には彼の純粋な愛に心を打たれるはずだ。私心のない愛、純粋な愛の形が浮き出てくる。犯罪行為のなかであるからこそ、純粋さがくっきりと描かれているのだ。
 推理小説としても名作であることは付け加えておくが、「純粋な友情」「純粋な愛」を味わう、ただそれだけのために、この小説を読んでみても決して損はしない。是非一度読んでみることをお勧めする。

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