あるキング

  • 『あるキング』

  • 伊坂幸太郎
  • 徳間書店
  • 1,260円(税込)
  • 2009年8月
  • 『俺がいることで、バランスが崩れてはいないだろうか』 野球選手の「王」になるべく生まれてきた男、山田王求。彼が意識しなくとも、周囲は「王」という圧倒的な存在に狂わされていく。『王になるお方。それでいい』

天才には憧れておけ

推薦文No.1-2
早稲田大学現代文学会

 『あるキング』は、天才野球選手を王に据え、彼の一生を年代順に記した伝記(風小説)だ。彼の名は山田王求(おうく)。'王が求め、王に求められる'ようにと名付けられたのである。
とはいえ、かれは野球への異常な情熱をもった両親によって、王に「育て上げられた」のではない。彼は初めから王だった。まず王求が誕生した時、父親はこう思う。
山田亮は、ぎゃあぎゃあと甲高く泣く赤ん坊を前にし、狼狽しつつも、これは雄叫びだ、と考えている。自分の息子のやるべきことを、自らのすべきことを完璧に把握した。
人々に、自ずと使命感を生じさせる天才、それが王という存在なのだ。
天才になりたいと思ったことはないだろうか。まわりの人々より突出していたい、皆から見上げられたい、影響力を持ちたいと欲望したことはないだろうか。勉強とか音楽とか運動とか人としてのカリスマ性とか。「自分はこのレベルまで行けたから割と天才」「あれができてたら自分すごかったのに」なんて思ったり・・・そんな我々は凡人なのである。
王求のもつさまざまな非凡さは、彼にとって当たり前だった。プロ野球選手を目指して、毎日欠かさず厳しい練習を行い、素晴らしい野球技術を得た、なんて意識は王求にない。周囲にいる普通の人々によってそうラベリングされるのだ。だから本文中でも、主人公の内心は全く描かれず、王の周囲にいる普通の人々は丁寧に描かれる。しかもその人たちの気持ちは超分かる。
『あるキング』を小説として読むと、信頼できる身近なコミュニティがあることの大切さ、など感じ取れるが、王求がよくわからなくて読後に残尿感的なものを持つ。それは、天才な登場人物に対し、我々はその他大勢の一人、という立場の読み手になることしかできないからである。
だから、もうそういうのは忘れてしまえ。共感とか、自己投影とか、没入とか、いいんだと思う。ファンタジーなのだから。現代日本に王なんていないではないか。「あるキング」には、伊坂調のおしゃれポップな会話とギャグ、爽快な伏線回収はあまりない。今よりもっと幼い時にファンタジーを読んだ気持ちで、物語の流れに流されてしまうのだ。
そのとき、物語内で起こる王ゆえの悲劇、大きな力、常に予告される展開、王求のことを「おまえ」と呼びかける具体のない語り手、そういったものがなつかしくなじんでくる。オチが神秘的に余韻を残す。
本を読んだら、賢いことをいかにも自然に思いついた感じで言わなければならない、そんな思いからたまには解放されてみるのもいいと思う。

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