1Q84 BOOK1・2

  • 『1Q84 BOOK1・2』

  • 村上春樹
  • 新潮社
  • 各1,890円(税込)
  • 2009年5月
  • スポーツジムに勤め裏の顔をもつ青豆と、予備校講師で作家を志す天悟の視点が交互に語られる。重なりゆく2人の物語に、現代への問いかけが浮かび上がる。恋愛小説でSFでミステリ、村上春樹7年ぶりの新作長編。

最優秀推薦文

愛とか、人生とか、

推薦文No.2-1
一橋大学文芸部

 人生とは何だろうか。自分で切り拓くものなのか、あるいは天与のものなのか。
 愛とは何だろうか。わたしは愛を知っているのだろうか、それとも・・・
 天吾と青豆の2人が1Q84年に織りなす波乱の一幕が「1Q84」という小説である。道を分けたまま生きてきた2人だが、ふとした視点の移動が起こることで、彼らは互いの気持ちが衝突しそうなほどに接近していたことに気がつく。物語の中で次第に彼らの道は交差していき、ついに互いの姿をその目でとらえ始める。
 成長期の中で、彼らは生きる中で心の成長に求められるだけの愛を与えられることがなかった。ただただ不器用に、幼いころに抱いた「愛」を心の奥底に信じ続けるばかりであった。心と「心」の成長は釣りあうことなく、そのまま大人になり、そして生きることはそこらの人よりもはるかに上手くなった。しかしながら、ある部分だけは子供のころから全く成長しないで純粋に、あるいは未熟に残っていた。言葉や思想の殻で器用に覆い隠していたが、その中には不器用な愛の形が「誰にも」触れられぬまま、「誰か」のために残してあった。しかし、満たされない願望は性欲と愛情を切り離したドライな考え方を大きくし、異性と密接な関係を築くことはなく、自身の人生をただ通り過ぎていく人としか身体を重ねることはしなかった。否、できなかった。それは彼らの中では仕方のないことであり、それ以外の手段で人に近づいていくことは悲しいことにできなかったのだと思う。ただ一人を除いては。
 愛情の不足、運命のすれ違いは今のわたしたちにも言えることではないか、というのは強引な考えだろうか。膨大な数の人と情報が行き交い、処理しきれなくなると私たちは自然と取捨選択し、いらないと判断した出会いに対しては一切の思考を停止する。つまり、無感覚になる。それは本当に必要ないのか、判断できているのかさえ分かっていないのではないだろうか。ものの表面からどれだけのことが分かるというのだろうか。物事が持つ側面は、片側からだけ見ていてもすべてを把握することはできないというのに。私たちが見なくなったものの裏側には深い深い絆が横たわっていることだってあり得る、などと思ってしまう。形は違えど、小説と現実の底に流れるものに共通点が感じられる。
 わたしは、愛を知っているのだろうか。それとも彼らと同じように大事な気持ちを見逃して、大事なだれかと道を分けて生きているのだろうか。あるいは、運命の相手を見つけた、なんて勘違いを何度も繰り返すのだろうか。
 そうだとすれば、なんて惜しいことだろうか。そんな空想に耽ってしまう。
 最終的に、彼らは交差する互いの運命の中から相手の姿を見出すことができたと言える。直接相手と触れあうことはなく、結末としては一見悲しく見えるが、運命の相手をすれ違う一瞬の中から見つけることができたというのは、もっと深い喜びに満ちたものではないだろうか。少なくとも青豆はそう思っていた。
 「天吾くんが存在しない世界では、私が生きる意味もない」
 青豆の台詞である。
 わたしは今まで世間の速さに流され過ぎていたのかもしれない。絶対的な出会いがあれば、わたしの人生は満ち足りる。そんな確信めいた気持ちが心に湧いてくる。出会いをドライに諦めてはいけない。なぜなら、今がどうであろうと、一つの愛が人生を絶対にすることだってあるのだから。

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