ボトルネック

  • 『ボトルネック』

  • 米澤穂信
  • 新潮社
  • 500円(税込)
  • 2009年10月
  • 亡くなった恋人を偲んで訪れた東尋坊で、ぼくは誘われるように断崖から墜落した。そこでぼくを待っていたのは、失ったもの全てが存在する「自分の生まれなかった世界」――。生々しい痛みに満ちた、青春ミステリ。

「僕のいない世界」で知った痛ましい「若さ」の輪郭

推薦文No.4-3
立教大学文芸思想研究会

 大学生。「人生の夏休み」と表される様に、私たちの余暇は長い。そして自由な時間が多くある分、より自己と対峙する機会も多い。また、後に控える就職活動ではよりシビアな現実を前にして打ちのめされる人もいると聞く。不採用。その3文字はそのまま「あなたはいらない」と翻訳されるのだ。自分の価値を真っ向から否定されることが、辛くないはずがない。
 私たちは過渡期にある。子供と大人の狭間で支払い猶予を謳歌しながら、それが所詮「猶予」でしかないことに薄々気付いている。私たちは本当に誰かから必要とされ得るのか?「猶予」の終わりへの予期は、求められたいという欲求を必然的に導く。
 そんな私たち「大学生」に推薦したい本を選ぼうと思った時に、最も相応しいと考えたのが『ボトルネック』であった。
 『ボトルネック』は主人公・リョウが、死んだ恋人を悼むために向かった先からパラレルワールドに飛ばされるというストーリーである。彼はそのパラレルワールドでは「生れてこなかった」存在であり、代わりに見知らぬ「姉」サキが暮らしている。二人はお互いの世界を比べて「間違い探し」を始めるが、リョウの世界で失ったものは全てサキの世界にはあった。リョウは気付く。自分自身が元の世界での"間違い"――「ボトルネック」であったのだと。ボトルネック、それは「システム全体の効率を上げる場合の妨げとなる部分。まず排除しなければならないもの」
 自分が必要とされていないのではないか、そして、自分がいるために事が滞っているのではないか、と思ったことは誰しもあるだろう。私たちは他人の心を覗くことができないし、「自分のいない世界」は想像することしかできない。しかし「想像力」は、『ボトルネック』という作品を語る上で重要なキーワードだ。
 リョウが飛ばされたパラレルワールドにいる「姉」、サキは、天真爛漫で洞察力に優れ、状況を打開する想像力に富んでいる。対してリョウは、「どうしようこともないことは受け入れるしかない」が口癖の諦念を具現化したような青年であった。リョウは初対面のサキに「想像力がない」と指摘された時、「足元を見て首を引っ込めていれば大抵の嵐はやり過ごせるというのに、想像力がなんだというのか」と洩らしている。しかしその態度の差が、自己防衛としての「想像力」の無行使が、2つの可能世界の間に決定的な差異をもたらしたことを、「間違い探し」を通してリョウは徐々に理解していく。
 「この先ぼくを、ぼくのまわりの人間をどんな不幸が襲っても、ぼくはもうそれを、どうしようもないと受け入れることは決してできない」それはサキであれば救えたことかもしれないから。「控えめにいっても、呪いだ」
 そして物語のラストシーン、リョウは、「失望のままに終わらせるか、それとも絶望しながら続けるかの二者択一」という生死の選択にまで追いつめられてしまう。「もう、生きたくない」リョウはそう呟く。しかし『ボトルネック』はリドルストーリーなのだ。リョウが結局どちらを選んだのか、それは誰にもわからない。そう、結末は私たちの手に委ねられている。
 自分がボトルネックかもしれないと思ったら、あなたはどうするだろう。確かに結末を「想像」するしかない『ボトルネック』に、模範解答は書かれていない。けれど岐路に立たされた時、きっとその指針となってくれる。
 自力で考え、行動することを止めていたリョウ。彼に想像力を与え、ボトルネックに気付かせたのはサキのいる平行世界であった。そして私たちに「想像力」の大切さを教えてくれるのは、きっとこの『ボトルネック』という作品世界なのだ。ぜひこの繊細な文学に触れ、肌で感じて欲しい。

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