インシテミル

  • 『インシテミル』

  • 米澤穂信
  • 文春文庫
  • 720円(税込)
  • 2010年6月
  • コンビニでバイト雑誌を立ち読み中の大学生結城は、同級生の不思議で美人なお嬢様、須和名に偶然声をかけられる。そして見つけた、「ある人文科学的実験の被験者」バイト。超高額時給につられ12人の男女が集ったが・・・。

推理の果てにあるものは?

推薦文No.1-3
東京大学書評誌ひろば

 今まで読んだ様々なジャンルの小説の中で私が最も恐ろしいと思う人物がこの物語には登場する。別に残虐な殺人鬼でも酷い裏切り者でもない。冒頭で書かれているように、主人公達は「不穏当かつ非倫理的な出来事」に巻き込まれるのだが、唯一その人物だけはほとんど動揺することがないのだ。大筋のストーリーとは少し離れて所々に表れるその恐ろしさは、少しこの物語を読んでみれば嫌でも体感できるだろう。
 時給千一二十百円のバイト。は?と思う方も多いであろう、11万2000円のことらしい。胡散臭いが、それこそが一つの細工であることに気付くのは物語のラストだ。とにもかくにも、その法外な給料に導かれて、正体不明の実験に参加した12人。訳も分からず地下の館に案内された彼らは実験の内容を知る。参加者はその館で一週間全ての行動を監視されながら過ごす。それぞれが別の凶器を渡され、人を殺した者、犯人を指摘した者には給料にボーナスが加わる。夜は自室で一人寝ることを強要されるが、その部屋に鍵はない。また、建物の構造も凝った造りで、廊下が常に曲線状の細いものになっており、人が前や後にいることに気付いたときには、もうその人との距離は目と鼻の先。ただ、その内容を知った時にはもう逃げ出すことなどかなわない。そこここに古典ミステリに出てくるようなアイテムを備えたその館で、やはり殺人が起きてしまう。
 また、この物語は、凶器に付いている説明文などに、古典ミステリに大きく影響を受けていることが明示されているが、はっきりと違う点として、カメラで参加者が常にモニタリングされていること、そして、「ガード」と呼ばれる監視ロボットの存在だ。夜中、出回っている者がいないか廊下を徘徊するのが主な仕事だが、死体の回収と清掃、暴動の鎮圧までこなすこの武装機械のせいで、無意識に、そして意識的に、参加者は企画者の思惑にはまっていく。
 この物語で注目すべき点は12 人の登場人物が示す発言や行動の多様さだと思う。それぞれは性格や思考パターン、この実験に参加した思惑が異なる。クローズドサークルという特殊な状況においても、まるで実世界の縮図であるかのように、ただ恐怖に怯える人、他の全ての人を疑い警戒をとかない人、リーダーシップをとる人、自らの頭の良さを示そうとする人、自分より優位な人に付き従おうとする人などの様々な特徴をもった人物が登場し、その書き分けに感心させられる。最も面白いのは主人公である。物語は基本、この主人公視点で話が進むのだが、探偵役として活躍する一方で、欠点もあり、しょっちゅう自分の行動に後悔している辺り、なかなか共感できるのだ。
 さて、探偵役とさりげなく書いてしまった。それはそうだ。この物語はミステリ小説なのだから。一人の死が引き金となって次々と起きる殺人。しかもそれは様々な凶器によるものなのだ。一体犯人は何人で、誰なのだろうか?...こういった構造が登場人物たちにあることを忘れさせていく。そもそも自分たちがしなくてはならないことは謎解きなどではないことに...。それこそがこのバイトの真の目的。そのことに気付いてからが本当のラストだ。あれほど無くなってほしかった時間が今度は惜しい。このラストの疾走感は誰しも引き込まれるだろう。
 そして、最後の最後に初めに述べた人物の真の目的が明かされ...ゾッとする。

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