インシテミル

  • 『インシテミル』

  • 米澤穂信
  • 文春文庫
  • 720円(税込)
  • 2010年6月
  • コンビニでバイト雑誌を立ち読み中の大学生結城は、同級生の不思議で美人なお嬢様、須和名に偶然声をかけられる。そして見つけた、「ある人文科学的実験の被験者」バイト。超高額時給につられ12人の男女が集ったが・・・。

作者からの挑戦状

推薦文No.1-5
創価大学創作部

 シャーロック・ホームズは『赤毛連盟』の中でこう語っている。特徴のない犯罪ほど厄介なものはない、と。その点で、この『インシテミル』という作品は非常に難解な事件だったように思う。かと言って、退屈でつまらない作品だと思ってはいけない。この作品には読者を最大限に楽しませる秘密が5点ある。
 第1に、無駄なものを極限まで削ぎ落した設定だ。冒頭でも述べたように、この作品中に起きる殺人はこれといった特徴がない。真っ赤な部屋や気味の悪い暗号といった奇怪なことがないのだ。ミステリー好きならばこのような最小限のヒントから犯人を突き止める対決をしたいと思うのは当然ではないだろうか。一方、ミステリー初心者のためにもこの設定はありがたいものだったように思う。犯人探しをやらずにひたすら読み進めていくだけでも面白く読めるようになっているのだ。無駄なことが提供されていない分、真相を明かす際にさして頭を使わなくても読めるようになっているのは非常に素晴らしいと思う。
 第2に、圧倒的な臨場感である。私はこの作品を自室にこもって読み進めていると、私の部屋に犯人が入ってくるのでは、という気になった。それだけではない。部屋の扉を開くと、作品のような暗い回廊が目に飛び込んでくるのでは、という気にさえなった。確かに、他の作品でも私も朝起きたら惨たらしい姿に、ということは想像するが、この作品は更に深くまで入り込んでしまう。主人公と共に暗く長い夜を過ごしているような気になるのだ。それは、作者である米澤穂信の書き方にある。主人公の恐怖や緊張をこれでもかというほどに書き連ねてあるのだ。息使いや心臓の鼓動まで聞こえてきそうなその表現に、私はいたく感心した。また、主人公の冷静さも読者を世界に引き込むために良く作用している。その冷静さはある意味で読者と同じ視点のように私は感じた。主人公は目の前で起こる殺人に対して徐々に冷静になっていく。冷静に、というよりは疲れや感覚の麻痺によるものではあるが、とにもかくにも読者には、主人公が冷静なように感じてくる。そして、その瞬間に読者の視点と重なり合うのだ。換言すれば、悲しみや犯人に対する怒りよりも先に、犯人を早く突き止めたい、この事件の真相を解き明かしたい、このような視点に移っていくのである。
 第3に、ミステリー小説の登場人物とは思えないような主人公の暢気な発言である。私は最初読んだ時に、ライトノベルを読んでいるような軽さを感じた。平易な文ばかりで綴られる文章、そして主人公の天然な考えが随所に散らばっている。それは時に寒いギャグであったり、時にヒロインに対する美辞であったりと非常に和やかなものだ。そのような文がクライマックス近くまで続いても読者に違和感を感じさせないのは圧巻だと思う。
 第4に、犯人を探す他に謎が隠されている点だ。犯人を突き止めるという楽しみの他に、隠し通路の場所や主人公の秘密を突き止める楽しみまで盛り込まれている。これはミステリー好きには垂涎モノではないだろうか。
 第5に、古典ミステリーになぞらえた小道具である。米澤は古典ミステリーというものに対して非常に敬意を払っていたと聞く。そのことを顕著に表わしているのが、作中の至る所に登場する小道具だ。例えば登場人物たちに割り当てられた凶器の入っている箱には、あるメモが入っていた。それにはその凶器の登場する古典ミステリーの作品名が書かれているのだ。その作品名の中には、ミステリー好きは思わずにやりとしてしまう事件名も少なくない。また、作中に出てくるミステリー作品を読んでからもう一度この作品を読むとまた違った味わいになるだろう。
 私はこの作品を、読者への挑戦状だと思った。読者に対してこんなに有利な条件を与えてくれたミステリー作家を私は今まで見たことがない。皆さんも作者からの挑戦を受けてみてはいかがだろうか。

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