ハーモニー

  • 『ハーモニー』

  • 伊藤計劃
  • ハヤカワ文庫
  • 756円(税込)
  • 2010年12月
  • 21世紀後半、世界的混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築く。そんな見せかけの優しさが氾濫する世界で、少女たちは自殺を試みる。世界の混乱の陰に死ねなかった少女は、ただ一人死んだはずの少女の影を見る。

あいだ、私たち

推薦文No.5-4
関西大学現代文学研究部

「あなたが守っている道徳とは何だろうか?」
 そう聞かれて、とっさに答えられる人は多くはいまい。しかし、言葉にはできないにせよ、わたしたちは多かれ少なかれ道徳に従って生きている。
 道徳という言葉は、自発的、内発的なものというイメージがある。実際、辞書を引けばその通りの意味だ。

『どうとく【道徳】
ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。』(大辞林)

 タバコのポイ捨てはいけない、電車の中で騒がない、お酒を飲み過ぎてはならない......。そうしたことは、たいていの人間が誰に言われるともなく「自発的に」思っていることである。そうして社会秩序が維持され、人々は安心のうちに暮らすことが出来る......。

 さて、この物語はそうした道徳心が大きくなった、未来社会の話だ。技術も発展することで、より人々に優しく、安寧をもたらすように設計された都市。皆が 健康を楽しみ、互いを支え合うことを義とし、公共心の高い、ストレスレスな社会。さぞや生きやすいことに思う。特に、私たち現在生きる、この閉塞感漂う社会と対比してみればなおさらだ。
 だが主人公はそうした社会に生きづらさを感じる女性として描かれる。互いを支え合うような社会を、押し付けがましいものとして捉えている。彼女は、本来ならば内発的であるべきはずの道徳が、社会による外発的なものだとして息苦しさを感じているのだ。ずいぶんとタフな考えだが、しかし私たちにも身に覚えがあることだろう。例えば、思春期における親や教師への反発。「あなたのため」という名の元に、あれこれと言われる煩わしさは、分からないことでもない。
 この物語内世界では、道徳性も発展している。お酒、タバコを嗜むなんてもってのほかで、社会からは完全に駆逐されている。体型も太っててはいけないし、また痩せていてもいけない。そのために食事制限が行き届いている。なにもかもが標準・安全であるべき。多様性の消えた社会。そうした社会を、タフな主人公 の語りと共に眺めていると、過激な道徳というのも、恐ろしいものにみえてくる。
 そして読者は現実にも思いを馳せる。もしかして今の社会に通用している道徳も、既に過激になりつつあるのではないか、と。流行る健康志向、徹底した分煙化、終始にこやかなテレビタレントは......? 
 一方で、いくら道徳について懐疑的になろうとも、やはり私たちは守るべき道徳というのも、どうしようもなく必要とする。その価値判断からは逃れられない。
「あなたが守っている道徳とは何だろうか?」。それは分からない。ただ曖昧なものである。しかし分からないながらも、こう聞かれたらどうだろうか。「あなたが不道徳な人を見かけたら、どう思うだろうか?」。......わたしたちは多かれ少なかれ道徳に従って生きている。だから、この主人公の反道徳的立場に安易に共感するのも、結局は反対しているものと同じ道に行き着くことになりうる。どれほど反道徳的になろうとも、どうしても譲れない道徳は存在している。それを否定されたとき、反道徳者は道徳者になる。
 では私たちはどうすればいいのか? 問題となる「過激な道徳」の、その過激さとは、いったいどのように判断すればいいのか? 譲れるラインとはいったい?
 本書はあくまで冷静に言い放つ。
 
 『これは皆と相談して決めるべき事柄ではない。どこまでも自分自身で判断しなければならない、孤独な選択なのだ。』(P216)

 私たちは選ばなければならない。『ハーモニー』というタイトル。これは調和か非調和かという問題ではない。同じ調和でも、選んだ結果なのか、選ばなかった結果なのかとこの本はひたすらに問うているのだ。

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