ハーモニー

  • 『ハーモニー』

  • 伊藤計劃
  • ハヤカワ文庫
  • 756円(税込)
  • 2010年12月
  • 21世紀後半、世界的混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築く。そんな見せかけの優しさが氾濫する世界で、少女たちは自殺を試みる。世界の混乱の陰に死ねなかった少女は、ただ一人死んだはずの少女の影を見る。

ゆるやかな孤独の先にあるもの

推薦文No.5-5
帝京大学文学研究会Literaters

 私たちが安全で安心な日常生活を送ることができるのは、法律という社会のルールに守られているからなのは間違いない。だが法律だけ守っていれば人間らしく生きていけるのだろうか? 思い出してほしい。自覚は薄くても実は私たちは結構ハードな日々に身を投じている。膨大な数の「空気」という名の雰囲気を無事にやり過ごすべく、調和を乱さぬよう、今日もまた素の自分を抑えながら生きているはずなのだ。
 そこは全ての国民に絶対的な健康が約束されている未来。一家に一台ある装置が調合する薬を飲むことで、いっさいの病気を寄せ付けない世界は実現された。社会には助け合いの精神が隅々にまで行き届いており、「いじめ」も子供たちが知らないほど言葉も概念も消失しきっている。人類はついに病気も争いをも克服したユートピアの境地にたどり着いたかのように見えた。ところが、
 「トァンはさ、わたしと一緒に死ぬ気ある......」。
 そう、彼女だけは世界の欺瞞に気づいていた。社会を取り巻く息苦しい思いやりから抜け出したがっていた。誰よりも物知りで繊細な魂を持つ少女、御冷ミャハ。だけど世界を変えるには彼女はあまりに幼く、どこまでも庇護される存在にすぎない。だから彼女は仲間を募って死ぬことにしたのだ。身体のすべてが自分自身のものだと示すためには、押しつけられる善意に抵抗するためには、彼女たちに残された手段は自死による無言の訴えしかなかったのだ。彼女たちの自殺の行方は割愛するが、ここに至るまでのミャハの長い演説は圧巻の一言につきる。なめらかな口調は読み手の私たちにすっと溶け込んでいき、その言葉は遅効性の毒のような深い衝撃をもたらしてくるのだ。
 孤独感を抱える人が増えていることは現代の日本に置ける一種の社会病だ。原因は村社会にあった結びつきを、都市化が希薄にしたからとも言われているが、一概に決めつけることはできない。ただ言えることは私たちに必要とされるコミュニケーション能力が、より複雑でハイレベルになってきている点である。例えば近年引きこもりが急増したのも、求められる対人関係能力の高さに、適応できる者とできない者に二分化されてしまった結果である。他人と良好な関係を築けなければたちまち孤立してしまうシビアな現実。それゆえ私たちは傷つくことを恐れ、協調性を重視しがちだ。運良くそのことを意識しないで済む人ならかまわない。しかしそうでない人はどうしたら幸せになれるのだろう?
 答えは誰も教えてくれない。いや、教えてくれる人もいるかもしれないが結局、答えなんてものは自分が納得できる言葉以外は聞き流すのがほとんどだ。よほど気の知れた仲ならともかく大勢を相手に、同じ人間だからという理由だけで分かち合うには努力がいる。根気がいる。続ければ疲弊していくこともある。それでも相手の言葉で満足感を得たがる人はこんなにも多い。しかし、人は一人だ。どこまでも一人称のあなたは残念ながら独りだ。そして現代では、そのことに無自覚すぎる人が多い気がする。
 日常生活のどこかに息苦しさを感じているのなら、それはきっと気のせいではない。この「ハーモニー」は、思うに奪われた「孤独」を取り戻すまでの物語だ。過剰な親切や同情の息苦しさのあまり、自滅を始めた社会に立ち向かった彼女たちは、人間が本来持っている生命力の強さを教えてくれる。私は今まで、これほど人間は一人でも自立できるという常識を、力強く主張した作品を読んだことがなかった。だから聞き流す心配はない。読んだ内容は何かしらの形で、あなたそのものに影響を与えるだろう。この本はあなたが個人である自覚を喚起させてくれる一冊だ。

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