これはペンです

  • 『これはペンです』

  • 円城塔
  • 新潮社
  • 1,470円(税込)
  • 2011年9月
  • 文章の自動生成装置を発明した叔父とその姪。存在しない街を克明に幻視する父とその息子。「言葉」を手がかりに繋がろうとする家族を通して読むこと、書くことの根源を照らし出し、言葉と人々を包み込む2つの物語。

「書く」こと、「読む」こと

青山学院大学文学散歩の会

 円城塔の著作を語ろうとすると、いつも不安になる。書かんとしていることを、自分は読めているのだろうか。自分が読みとったことを、他人に伝えられるだろうか、と。
 この本に収録されている「これはペンです」と「良い夜を持っている」を読み、その思いは今までになく大きくなった。なぜなら「書くこと」「読むこと」について、私たちがもう一度考え直すための物語だったからだ。

 表題作「これはペンです」で、"姪"は"叔父"から手紙を受け取る。
 "叔父"は文章自動生成装置の開発者、ということぐらいしか分からない。写真は他人の顔で済ませ、発表する論文は胡散臭く、"姪"への手紙には磁石やらタイプボールやらを同封する。"叔父"の真意を、そして"叔父"そのものを、"姪"は書き出すことが出来るのか―――
 円城塔は、物語を書くことで「書く」ことそのものを探り続けている。なぜ人はペンを取り、どのように誰かへ伝わるのかを。
 また、その探求の手段は問わない。「後藤さんのこと(早川書房刊)」では単語・文章の色分けを、「鳥有此譚(講談社刊)」では本文への注釈から更なる注釈を行った。そうした試みは奇をてらったものでなく、「書く」ということ、ひいては言葉にある無限の可能性を信じるが故の実験だったのではなかろうか。人一倍信じるからこそ、言葉が意図しない方へ向かう可能性をも知っているのではなかろうか。だから円城塔の作品は、石橋を叩くように物語が書かれていく。他の小説ならば、AからB、BからCへというように何ら疑いなく進むところを、BはAの後に足る存在なのか、そもそもAの存在は許されるのか、というように。
 しかし、どんな方法を用いても伝わらないことがあるのではないか。作中、"姪"はこう考える。
 「そこに全ての可能なペンがあるとして。全てのペンを試すことができたとして、それでも叔父の望むペンがそこに含まれているかはわからない。そんなペンなどこの世のどこにも、原理的にさえ存在できないかも知れないからだ。」
それでも"叔父"の研究は続く。なぜなら「書く」ことで何かが残り得るのは確かで、それが変転を繰り返し生き続ける限り、決して無駄にはならないからだ。そんな希望は、次の「良い夜を持っている」へと繋がってゆく。

 超記憶力保持者であった今は亡き"父"。
 息子である"わたし"が、残された記録からその姿を「読む」ことは出来るのか―――
 "父"は記憶の術として"街"を構築していた。そこは夢も現実も記憶も、過去も未来も入り組んで、少しずつズレながらも全てが記憶されている。創作した"父"自身、その混沌を完全にコントロール出来るわけではない。"わたし"が明らかにしていくイメージを頼りに、自分もこの作品の中をさまよった。
 それは、挿絵のない本を初めて読んだ時の感覚に似ていた。とにかく文字を追い、読みとれるイメージを、なんとか頭の中に展開しようとしたものだ。
 「細部ははっきりしているのに、細かな齟齬に満ちており、しかし全体は圧倒的にもっともらしい」。そんな世界に自分の想像力が追いついた、と思うことはほとんどなかったが、少なくとも頁をめくる間は本の中に入り込むことが出来た。
 あの頃なんとか想像しようとした物語を、ただ読むだけなら今の私たちには容易いだろう。内容を理解するどころか作品の背景まで知っているかもしれないし、要点だけまとめてレポート提出することさえ出来るかもしれない。だが約束しよう。
 とりあえず「読める」。とりあえず「書ける」。
 そんな私たちの思い込みを、この本はやさしく破壊するだろう。
 その代わりに新鮮な物語が、そこには広がっている。

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最終候補作品

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これはペンです
(円城塔/新潮社)

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(高野和明/角川書店)

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