ふたりの距離の概算

  • 『ふたりの距離の概算』

  • 米澤穂信
  • 角川文庫
  • 580円(税込)
  • 2012年6月
  • 春。神山高校古典部にも一年生が入るが、ある日突然謎の状況と共に入部を取りやめてしまった。一体何が原因だったのか? 奉太郎は推理する。マラソン大会の20kmを走りながら。

誰にも心を読むことはできない。だから、慮る。

推薦文No.17-4
中央大学文学会

 言葉は人とコミュニケーションをとるために不可欠のものだ。しかし私たちが既に大学生になるまでに体感してきているように、言葉を尽くしたところで意思疎通が完全に行われることは稀だろう。言葉は、使われたときの文脈によって意味が変わってしまう。例えばこちらが「今日の天気は晴れだねえ」と言ったとき、相手は「確かに今日はいい天気だ」、と思うかもしれないし、「天気予報が外れたな」と思うこともあるかもしれない。ことによっては「こいつ何かいいことがあったのか」と勘繰られることもありうる。
 もちろんそんなことをいちいち考えていては面倒だ。常に話し相手の言葉に注意を払うことはできない。それに注意したところで相手の考える通りに言葉を受け取れるかはわからないのだ。
 『ふたりの距離の概算』は、謎の部活「古典部」に属する高校生四人を主な登場人物として描かれる「古典部」シリーズの第五作目だ。本作では二年生になった主人公らと、古典部に仮入部していた一年生、大日向友子との間にあった誤解を探り、大日向が入部を撤回するに至った理由を明らかにするという物語となっている。   
 探偵役の折木奉太郎は大日向の心変わりのきっかけとなる出来事を回想し、彼女の心の動きを推理して、一つの結論を導いた。そしてその結論を大日向に突きつけて彼女の誤解を解こうとした。しかし大日向は入部を撤回したまま、古典部を去ることになる。誤解はそのまま溝として、古典部と大日向の間に深く残ることとなった。
 物語の中で古典部と大日向がすれ違った理由はいくつかあったが、どれも会話の中の齟齬が問題だった。相手は単にこう言ったけれど、実はこれは何かの喩えなのでは、といったような思い過ごしや解釈のズレが重なり入部撤回という形になったと書かれている。そのような状況は現実の世界の中でもよくあることだ。誤解によって人がいがみ合うというのは誰にも経験があるではないかと思う。
 かくも人は、正しく自己と他人の距離を正確に測ることはできない。いつだって誤解の余地は会話の端々に存在する。誤差なく互いに意思疎通を図ることの不可能性に直面してしまう。だがその誤解を飛び越え、彼我の間にある距離を埋める努力は、私たちにはできるはずなのだ。それは生きる中で不可欠な要素として私たちにつきまとう一種の地獄のように思える。自己と他者、または他者と他者の距離を概算することなしにはコミュニケーションをとることはできない。私たちは地獄に迷いながらも生きている。
 『ふたりの距離の概算』はそんなコミュニケーションの難しさを描いた作品だった。本当に、痛感させられてしまう。なにせ推薦文を書く立場にいる私も、この物語の中の事件のある部分の真相にちゃんとたどりつけているのかわからない。何度も読み返したはずなのにわからない。深読みし過ぎなのかもしれないけれど、なんとも結論を出せずにいる。
 その辺りを、あなた方にも考えてほしい。私が勝手に考え過ぎているだけならそれでもいい。問題は千反田えるの真意について。是非考えてみてください。

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