ふたりの距離の概算

  • 『ふたりの距離の概算』

  • 米澤穂信
  • 角川文庫
  • 580円(税込)
  • 2012年6月
  • 春。神山高校古典部にも一年生が入るが、ある日突然謎の状況と共に入部を取りやめてしまった。一体何が原因だったのか? 奉太郎は推理する。マラソン大会の20kmを走りながら。

不確かな距離の概算

推薦文No.17-5
早稲田大学早稲田ミステリクラブ

 『ふたりの距離の概算』を読み終えたとき,私はあることを思い出した。私の高校でかつてあった,柔道部の部員5人が突然全員退部するという事件である。

 『ふたりの距離の概算』は,米澤穂信の「古典部」シリーズ第5作である。同シリーズは,高校を舞台にいわゆる日常の謎がくりひろげられる青春ミステリだ。主人公折木奉太郎たち4人が所属する部活動「古典部」に,新入生が1人仮入部し仲良くなるが,ある日突然「入部はしない」と言って去ってしまう。奉太郎は,入部締切日に開催された校外マラソンの走行中に,回想をしながら彼女のやめた理由を探ろうとする。
 ミステリとしてのこの本の特徴は,「完璧」な名探偵はいないという点である。客観的に見れば,主人公の推理が正しいという確証はない。「かもしれない」レベルのものが,当人に聞いてみるなりして確認したら正解だったというだけの話である。
 しかし,それが決して悪いわけではない。むしろ,この作品についてはそれで良いと思う。この本の醍醐味は,マラソン中に主人公が,自分の回想と部員からの話をもとに,不確かながらも妥当な結論を導こうと推理する過程にある。そのそれぞれの回想の中でも同様に,妥当な結論を導く過程としての推理が行われている。これは,結末であっといわせることよりも,推理という過程を楽しませることに主眼がおかれた話なのだ。その推測や前提に,許容できるギリギリのラインの危うさがあった方が,読み手としてもスリリングで面白い。
 また,その推理のギリギリさを支えているのは,主人公たちが一介の高校生という点だろう。完全無欠の名探偵ではないから,その推理の根拠や推測が多少弱くても仕方がない。いや,そうではなくてはならないだろう。シリーズの中でも特に今作は。
 今作でメインとなる謎は,新入生の彼女がなぜ入部をやめたかということである。作中で一応推理能力があることを示唆されている奉太郎は,最終的には理詰めでその原因を推理するが,しかし,それでも彼女がそれにどれほどまで苦しんでいるかは,知る術はない。
 推理とは,その根拠も結論も表面的なものでしかない。そして,主人公たちもそのことを自覚している。
 また,このシリーズで提示される謎は決して大事件とは言えない。先ほど述べたように,今作の謎も新入生がなぜ入部をやめたかという,当人たち以外には,くだらなく思えるものかもしれない。しかし,端から見ればくだらなく思えても,当人たちは真剣そのものである。
 ここで,冒頭の柔道部全員退部事件の真相を明かしたいと思う。それは,顧問が大会の参加申し込みを忘れたことに腹を立てて全員退部したというものであった。「たったそれだけのことで」と思う人もいるかもしれない。しかし,大会に向けて励んだ練習を無に帰された悔しさは当人たちにしか知りようがない。
 高校時代には,他人の心がわからずもがき,傍から見ればたいしたことがないことで苦しみ,くだらないことに一生懸命になるものではないだろうか。そして,それで良いではないか。かつて高校生であったであろう大学生の皆さんに,是非この作品を読んでほしい。
 一度ページをめくると,そこに待っているのは,推理という名の少しスリリングな知的な遊びである。しかし,遊びといっても,登場人物たちは真剣に取り組んでいるに違いない。推理を楽しみながらも,結末のほろ苦さを味わってほしい。推理を楽しむ読者と,推理に取り組むキャラクターたちの心の距離の概算も,不確かで,完全には不可能だとしても。

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