倒立する塔の殺人

  • 『倒立する塔の殺人』

  • 皆川博子
  • PHP文芸文庫
  • 720円(税込)
  • 2011年11月
  • 戦時中のミッションスクール。少女達の間の小説の回し書きと、実際の事件が交錯する。物語と現実が絡み合う万華鏡のように幻想的なミステリー。

最優秀推薦文

物語をめぐる物語

推薦文No.9-1
明治大学ミステリ研究会

 あなたは物語に何を望むだろうか。自分を内側から揺さぶるような衝撃か、それとも束の間の快楽か。わたしたちは何を求めて、物語を読むのだろうか。

 皆川博子『倒立する塔の殺人』は、「倒立する塔の殺人」という小説についての小説だ。第二次世界大戦のさなか、ふたつのミッションスクールで、少女たちの間を行き来する一冊の本。孔雀模様の表紙に模造革、蔓薔薇模様の囲みの中には「倒立する塔の殺人」という題名。この本に書かれている物語は、さまざまな少女たちによって綴られていく。「倒立する塔の殺人」の中で書き継がれていく教師の死の謎と、現実に起こる女性徒の死の謎。作中作に書き込まれる少女たちの現実と、それを読む「わたし」の現実。現実と虚構、本の中で語られる出来事と読み手(「わたし」)によって語られる出来事――本書の中には、ふたつの物語が織り込まれている。別の位相にあるふたつの物語は、少女たちの視点によって色やかたちを変え、万華鏡のように無限に反射しあう。浮かび上がる色彩は複雑であるが、それ故に言い知れぬ美しさを湛えている。
 『倒立する塔の殺人』は、物語をめぐる物語だ。ミッションスクールという隔絶された環境で、少女たちの手から手へと渡り歩く一冊の本。設定のみを引き抜いても、物語が幻想的な甘美さを宿しているであろうことは感じとれる。しかし、この物語はただ美しいばかりではない。この世ならぬ雰囲気を纏ったこの物語は、戦争という圧倒的な現実を背景にして描かれているのである。「倒立する塔の殺人」の書き手のひとりである少女の文章を引用しよう。

 「わたしたちは、切り花なのだ。空想――あるいは物語――という水を養いにしなくては枯れ果ててしまう。しかも、その水には、毒が溶けていなくてはならない。毒が、わたしたちの養分なのだ。」

 自分たちは、物語という養分がなくては枯れ果ててしまう、と彼女は綴る。しかし、物語は同時に、現実に対する感覚を麻痺させてしまう毒でもある。物語には毒性がある、厄介な中毒性が。少女たちは工場で働くかたわら、彼女たちだけの〈とっておきの場所〉で本を読み、絵を描き、くちずさむメロディにあわせてステップを踏む。彼女たちは小説、絵画、音楽から物語の世界に浸り、戦争という現実から遊離していく。少女たちの過ごす時間は、触れれば壊れてしまいそうな脆く儚げなものである。けれども、残酷な現実の只中にありながらきらきらとした輝きを放っている。

 あなたは物語に何を望むだろうか。冒頭の問いに立ち返ろう。この問いは、何も読み手(受け手)だけに向けた問い掛けではない。あなたが物語の書き手(送り手)となった時、物語に何を望むだろうか。「倒立する塔の殺人」を書き継いでいく少女たちは、読み手であると同時に書き手であった。私たちと彼女たちとは何も違わない。現に、わたしはこの文章の書き手であり、同時に『倒立する塔の殺人』の読み手でもある。彼女たちはどのような祈りを込め物語を綴ったのだろうか。わたしたちはどのような願いを込め物語を綴るのだろうか。『倒立する塔の殺人』は、私たちと物語の在り方について語りかけてくる。わたしはこの問いに、自分なりの答えを用意している。しかし、ここでは敢えて書かない。かわりに、作中の言葉を借りて、この文章の締めにしたいと思う。

 「あなたはたぶん、わたしとは違う見地から、読み解いてくれる。そう思って、この本をあなたに託す。」

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