ひらいて

  • 『ひらいて』

  • 綿矢りさ
  • 新潮社
  • 1,260円(税込)
  • 2012年7月
  • 不器用で荒々しい、自分のことを考え、ただやみくもにまわりをなぎ払い、駆けていく初恋。女子高生・愛が恋した男子には恋人がいた。傷ついても、心を開いて生きていく物語。

圧倒的「共感」

推薦文No.15-2
法政大学もの書き同盟

 私は、彼女と似ていない。この物語の主人公である女子高生「愛」は、何一つ私と似ていない。
 私は彼女のように「怒りと自信に満ち溢れた女の子」ではない。彼女のように友達が多かったり、夜の校舎に忍び込むほどの行動力を持っていたり、さくらんぼのリップを塗ったりもしない。ここまでの激しい恋も、したことはない。
 しかし、私は彼女の思いを、身を裂く痛みを、シーツの手触りや空気のにおいまで、自分のことのように感じることができる。

 「愛」は、クラスメイトの男子「たとえ」に片思いしている。ほとんど話したこともない彼への想いはふくらみ、あるとき夜の校舎に忍び込んで、彼が隠していた手紙を盗み読む。それによって知った彼の恋人「美雪」に近づき友人になるが、その後、たとえに告白し振られ、愛はその腹いせに美雪と寝てしまう。

 ただの恋愛小説だと思って読み始めると、痛い目に遭う。その予想外な展開と、すさまじい質量で襲いかかる愛の思いに押しつぶされそうになるのだ。この本を読むのは苦しい。文章と言う名の力強い腕で、物語という名の水面に顔を押し付けられるようだ。息ができなくなる。
 けっしてありがちな話ではない。読者の多くはこんな経験はしたことがないだろうし、私はどんな恋をしていても、相手の恋人を寝取ったりはしないだろう。しかし、この物語にあるのは圧倒的な共感だ。こんな恋をしたことがなくても、私たちは彼女の苦しみを、思いを、感じることができる。ただの「分かる」ではない。冷静になってみれば、彼女の気持ちや行動は、私には理解できない。それなのに、「共感」してしまうのだ。
 物語が終わるとき、愛と同じものを見、同じ思いを感じていた私は、呆然とつぶやかざるを得なかった。ひらいて。それからようやく、自分と彼女が何一つ似ていないにもかかわらず、彼女の行動を理解できないにもかかわらず、ここまで連れてこられたことに気が付いた。この小説は、そんな力を持っている。
 物語として面白い、というのももちろんだが、文章の持つ果てしない強さが、この小説の力だろう。たとえば、一見抽象的すぎるこんな一節だ。

 「愛。常に発情している、陳腐な私の名前。黒鉛で書いても、真っ赤に染まっている。
 愛は、唾棄すべきもの。踏みつけて、にじるもの。ぬれた使い古しの雑巾を嗅ぐように、恐る恐る顔を近づけるもの。鰯のうす黒いはらわた、道路に漏れるぎらついた七色のガソリン、野外のベンチにうすく積もった、ざらざらした黒いほこり。
 恋は、とがった赤い舌の先、思いきり掴む茨の葉、野草でこしらえた王冠、頭を垂れたうす緑色の発芽。休日の起き抜けに布団の中で聞く、外で遊ぶ子どもの笑い声、ガードレールのひしゃげた茶色い傷、ハムスターを手のひらに乗せたときに伝わる、暖かい腹と脈打つ小さな心臓。
 私は、乾いた血の飛沫、ひび割れた石鹸。ガスとちりの厚い層に覆われた惑星。」(P.113-114)

 共感できない相手への、圧倒的な共感。本物の「物語と文章の力」とは、こういうものだ。

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