ひらいて

  • 『ひらいて』

  • 綿矢りさ
  • 新潮社
  • 1,260円(税込)
  • 2012年7月
  • 不器用で荒々しい、自分のことを考え、ただやみくもにまわりをなぎ払い、駆けていく初恋。女子高生・愛が恋した男子には恋人がいた。傷ついても、心を開いて生きていく物語。

愛はコンビニでも買えるけれど

推薦文No.15-4
関西大学現代文学研究部

 貴方はこれまで誰かを本気で好きになったことがあるだろうか?

 この質問を脳内で反芻する時、きっと貴方の頭の中は、甘酸っぱくドロドロした生暖かい記憶で満たされていることだろう。叶わなかった初恋、初めての恋人、人知れず散った片思い。思い出の中の恋物語は人の数だけ無数に存在する。私たちはきっと誰かを愛さずにはいられない生き物だ。アイドルだって、路上詩人だって、革命家だってみんな人を愛することの大切さを叫んでいるし、掃いて捨てても余りある古今東西の小説も、あらゆる愛の形を描き続けてきた。そんな、一般的で普遍的な人の営み、愛とか恋とか。

 ここでもう一度冒頭の問いについて考えてほしい。

 もしあなたが過去に誰かを本気で好きになったことがあったとして、その時抱いた感情は、果たしてさっきあげたような一般的で普遍的などこにでもある愛とか恋とかの類であっただろうか? もしそこに少しでも違和感を覚えたなら、私は貴方にこの小説をお勧めしたい。

 この小説「ひらいて」は、人が人を好きになるという事の意味、愛の根源を問うた物語だ。作者の綿矢りさは、かつて史上最年少で芥川賞を受賞し若手小説家ブームを牽引した時代の寵児であった。しかし、彼女のその後の作品は意外と知られていない気がしてならない。もし、記憶が当時のまま止まっている人がいるとしたら、今の彼女の作品を読んできっと度肝を抜くだろう。綿矢りさは、ありし日の時代の寵児ではなく、間違いなく次の時代の純文学の担い手であるといえるまでにその感性を進化させている。そして数年ぶりに再び彼女の原点ともいえる「高校」を舞台に選んだこの小説は、新たなる到達点ともいえる作品である。

 この小説の主人公、華やかだが傲慢な性格の愛には誰にも言えない秘密があった。それは、同じクラスの一見地味で目立たない男子たとえに、なみなみならぬ想いをよせていることである。彼女の想いはどんどん膨れ上がっていき、たとえと、そしてのちに判明するたとえの彼女美雪を巻き込んでとどまることなく暴走することになる。終着点の見えない物語とめくるめく変化する愛の感情の振れ幅に軽い眩暈を覚える。愛のとる行動はあまりに大胆で、ほとんど荒唐無稽ですらある。真夜中の学校に忍び込んでたとえが隠し持っていた手紙を盗み見る。たとえと近づくために彼女である美雪に接近し挙句の果てには性的関係を持つ。たとえを教室に呼び出して全裸になって待ち伏せをするなど。とても普通の感覚で理解できるものではない。しかし、読み進めるにしたがってそうしたジェットコースターのように疾走していく物語の狭間にちりばめられた、感情の結晶を綴ったような詩的な言葉の雫が、徐々に私たちの心の奥底にしみ渡っていくのがわかる。そして、そこに描かれている、愛とも、恋とも呼べない、名前の付けられない感情の正体を、私たちは知っていることに気付く。

―だから私が気付いているのは、ちゃんと覚醒しているのは、今しかない。今しかこの恋の真の価値は分からない。人は忘れる生き物だと、だからこそ生きていけると知っていても、身体じゅうに刻みこみたい。―

 誰かを本気で好きになるということはこんなにも、激しく、切なく、苦しく、痛々しい衝動であること。そしてそれを乗り越えてなお相手を求めて祈り続ける気持ち。その先に芽生える「ひらいて」という感情。

 貴方自身がこの小説を手に取り、そこにある言葉と向き合うことで、その感情にたどり着けたのなら、物語のラストに愛の前にひらけた景色の中で、きっとこれまでは気付かなかった世界の美しさに触れることができるだろう。どんな時でも、どんな世界でも必ず希望は見いだせる。

 今度は貴方がひらく番である。

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