惑いの森 50ストーリーズ

  • 『惑いの森 50ストーリーズ』

  • 中村文則
  • イースト・プレス
  • 1,575円(税込)
  • 2012年9月
  • 植物になりたい青年。毎晩25時に現れる男。芥川賞作家が贈る、切なくも温かい初のショートストーリー集。「暗いんだけど、心地よい。読むと救われる」ピース又吉も絶賛!

或る短編集への旅行記

推薦文No.19-1
国際基督教大学ICUペン(先)クラブ

 単行本を表紙買いするのは、少し勇気のいることだった。なにせ金額が金額だ。1500円、プラス税。それで1週間の昼ごはん代が賄えてしまうではないか。現実逃避のために買う本とはいえ、現実の食生活に影響が出るのは避けなければ。そう思っていたのだが、気づけばこの本を持ってレジに並んでいた。
 それほどまでに、この本の表紙は美しかったのだ。それは静かな色彩でありながら、強烈にわたしを引きずり込もうとしていた。そして、実際に彼の世界へと引きずり込まれてしまったわけだ。
 早速、表紙を開いて、本文を読み始めた。逃避旅行の始まりである。この本には、その名の通り50話の短編小説が収められている。まったく関係ない話が続くわけではなくて、少しずつ繋がっている話もある。ひとつひとつの話の長さはとても短く、本を読み慣れていない人でも難なく読めるだろう。わたしは1話読むごとに本を閉じ、目をつむって余韻を楽しんでから、次の話へ進んでいった。
 短編集であるからには、いろいろな話がある。明るい話や暗い話、中にはシュールな話や、著者と思しき人物が出てくるものまで、実に様々だ。しかし、それでも著者・中村文則氏の「味」とでも言うべき、心地良い薄暗さが、この短編集を支配している。わたしは雑食ではあれど、なんだかんだでハッピーエンドが好きなので、ほっとする終わり方の話がお気に入りだ。にも関わらず、全編通して読み終わったときには、暗い話すらもおもしろく思えたのだ。物語そのものの美しさというよりも、余韻の美しさ、後味の良さにこそ、この本の魅力があるということだ。これに関しては立ち読みでは味わえないので、自分の部屋なり喫茶店なり、どこかくつろげる場所でゆっくりと読むことをおすすめしたい。
 さて、この本には、他の単行本よりも比較的多くの挿絵が描かれている。松倉香子氏によるイラストは、温かみがあるがどことなく現実離れしていて、それが物語の世界観、中村文則氏の味に見事にマッチしている。このイラストも、後味の良さを演出する大事なものなのかもしれない。
 幸せで温かい読後感のまま、改めてこの表紙と対話する。わたしはこの椅子に座りながら、物語に出てくる人々を愛おしく眺めていたのだろう。余韻を心の奥へ沁み込ませながら、次の物語へと進んでいったのだろう。目をつむり、もう一度この本の空気を胸いっぱいに吸い込んでから、立ち上がって現実へと戻ってきた。なお、手付かずの課題や寒い懐に肝を冷やしたのは、まったくの余談である。

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