いま集合的無意識を、

  • 『いま集合的無意識を、』

  • 神林長平
  • ハヤカワ文庫JA
  • 651円(税込)
  • 2012年3月
  • とある作家を名乗る画面上の文字列との対話、人気シリーズのスピンオフ、過去書き下ろした短編群。今までの、そしてこれからの神林長平を知るうえで読んでおきたい短編集。

いま、意識について考えるために

推薦文No.1-1
関西大学現代文学研究部

 これからの正義の話をするために、SFはとても便利な道具です。
 既存の理論は、置かれる環境が変わればボロが出ます。それはニュートン物理学だけの話ではなく、倫理観とか、思考の枠とか、つまりは正義の在り方みたいなものについても多分同じです。中世はもちろん、たった一世紀前の正義だって、現代では通用しないことはよくあります。
 技術によって社会は変わる。社会が変われば、正義の姿が問われる。だから、SFは、物語の形をした価値観の予行演習になり得るのです。
 最近のSFは、架空の科学技術で変容した社会を描くものが多くなっているように感じます。スペース・オペラみたいな、ガチガチにマニアックな世界はちょっと休息期に入っている。
 だから、今、SFを読むということが面白い。読めば、何かしら考えさせられる。思考の題材をくれるんです。世界観を見つめなおすきっかけになる。大学生のうちに読んで欲しい。

 『いま集合的無意識を、』に収録された作品は、いずれも変容した世界での、意識の在り方に触れるものばかりです。その中でも、表題作の「いま集合的無意識を、」の世界は、現代の延長に存在します。
 あらすじは、こうです。
 語り手である「ぼく」は「さえずり」という(Twitterを模した)コミュニケーションサービスで、大量の文字列が、視認できない高速で流れるという現象に遭遇する。そして擬似的にホワイトアウトした画面上に
 い ま 、 な に し て る ?
 という文字列が浮かび上がったことから、「ぼく」と画面上の意識との対話が始まる。画面上の意識は「あなたは、ぼくの一部だ」、そして「ぼくは伊藤計劃だ」と言う。そこから「ぼく」は『虐殺器官』と『ハーモニー』の解釈を発端として、意識の在り方への考察を語る。
 あらすじだけだと、「どこがScience Fictionなの」と思われる方も居るかもしれませんので、少し説明します。
 この作品のSFとしての特徴は、パソコンの機能にあります。この世界では、パソコンは個人的なものではありません。常にネットに接続していて、ネット上に存在するOSで動作する。世界中の全てのパソコンによる集合が一つのコンピューターで、個々のパソコンはその演算領域を構築している要素であり、かつ、そこへ接続するためのターミナルです。
 このパソコンの仕様は、「ぼくの、マシン」、ひいては『戦闘妖精・雪風』と同じものです。このパソコンがあるから、「いま集合的無意識を、」の世界は、現代ではなく神林長平の描くSF世界となるんです。

 そして、そんな些細な現代との差こそが、この作品の妙味となります。
 それは「いま集合的無意識を、」が「意識」や「フィクション」、「インターネットコミュニケーション」という題材に切り込む作品だからです。
 「ぼく」の語りは、伊藤計劃の作品についての解釈から、やがて人間に備わる〈意識〉の機能の考察へと移ります。そこで述べられるのは、自我すらも含んだ〈フィクション〉を作り出し〈リアル〉を制御する、〈意識〉が持つ力の強さです。
 この強さは、同時に怖さでもあります。特に、ネットという形で人々の意識が伸張し混和し始める時代、ネット空間に集合的無意識が発生する時代では。
 僕たちがこれから作り担っていくのは、そんな世界です。
 それ故に、意識の在り方について、少しでも考えなくてはならない。そして、そういう思考の集合こそが〈フィクション〉の暴走を防ぐために機能する。
 そんなメッセージを、僕はこの作品から受け取りました。もちろん、これが正しい受け取り方だとも、神林長平が放ったメッセージの姿だとも言えはしません。完全な理解なんてあり得ないのがコミュニケーションですから。

 だからこそ、皆さん一人一人に、この作品から、それぞれの意識を通したメッセージを読み取って欲しい。

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