いま集合的無意識を、

  • 『いま集合的無意識を、』

  • 神林長平
  • ハヤカワ文庫JA
  • 651円(税込)
  • 2012年3月
  • とある作家を名乗る画面上の文字列との対話、人気シリーズのスピンオフ、過去書き下ろした短編群。今までの、そしてこれからの神林長平を知るうえで読んでおきたい短編集。

最優秀推薦文

統合され共有される自我と意識。

推薦文No.1-2
立教大学文芸批評研究会

 この短篇集は、いまここではないどこかを綿密に設定することによって、作り出され表されるいまここに居る人間の関係性、コミュニケーションの形を書いている。集められた様々な舞台の中で圧倒する世界観は勿論、そこで生きる人々がそこでどういう行動をするのかを細かく描き出し、そしてそれらをいまここに居る私たちへ結びつけるのだ。
 "いま"集合的無意識を"、"私たちの集合的無意識はいまどこへ向かっているのだろう。周りの意見や意識は昔よりも速いスピードでSNSなどを介して私たちの前に並べられ、通り過ぎていく。それは集合知足りえるのか、それとも自分の意識を介さない空虚な伽藍洞なのだろうか。そして、それを前にして見ている私とは、意識とはなんだろうか。この本は6編からその問題に深く切り込む。
 「ぼくの、マシン」では、 "パーソナル"コンピューターが回線を通して他と繋がり、自分一人のものではなくなってしまったことを、「切り落とし」では身体を抜けだし物的に守るもののなくなってしまった自我の拠り所について。「ウィスカー」では誰もが経験した少年の意識と無意識を"小さなお友達"が暴きだし、「自・画・像」では意識する自我ある自分の所在を問う。「かくも無数の悲鳴」では多世界解釈を持ち出し人類の集合的無意識ともなりえた男が見せる意識の生き残りについて。最後は表題作「いま集合的無意識を、」。Twitterのような公開のネット空間で、既に死んでしまったSF作家伊藤計劃との対話を試みる。どれも実体と虚構の間をさまよい、虚構空間に身を委ねようとする私たちが持つ、自分自身の存在の不安を書き出す。ネットワークがより可視化され私たちに張り巡らされ、その存在無くしてはコミュニケーションや社会は成立しなくなってしまった。自分自身という存在はいつしかネットワークを作る一つの点ではなくて、ネットワークの中の一つの小さな点でしかなくなってしまって居るのではないか。
 この不安から私たちはどう抜け出せばいいのだろう。パーソナルとソーシャル。その境目はどこにあり、自分たちはその境目を見つけられるのか。共有、共感、クラウド、コミュニケーション。そんな言葉が流行りのように使われる。"いま"私たちは実際の言葉の意味やそこから起こる事象を考えはじめなければならないのではないだろうか。"いま"集合的無意識を"、"どこへ何にどのようにしていくのかを、この読点の続きを見つけ出さなければならない。

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