屍者の帝国

  • 『屍者の帝国』

  • 伊藤計劃,円城塔
  • 河出書房新社
  • 1,890円(税込)
  • 2012年8月
  • 日本SF大賞作家・伊藤計劃著の未完の絶筆を、芥川賞作家・円城塔が引き継いで完成した本作。秘密諜報員ワトソンの「屍者」をめぐる冒険がいま幕を上げる……。

ラブレターを届かせて

推薦文No.5-3
早稲田大学現代文学会

 時代が終わった。SFの時代に、怪奇小説の時代に、一つの終止符が打たれた。もう『屍者の帝国』以前と以後によってしか語らざるをえないのだ。僕らはこの物語の最大の敵となる「ザ・ワン」の原型である「怪物」がその原作の中では彼の花嫁をフランケンシュタイン博士に要求して作らせたことを知っている(そして失敗したことも)。今の怪物たちの歴史はその辺りから始まった。他に例はいくらでもあげられる。スティーヴンソンの『ジーギル博士とハイド氏』、ウェルズの『モロー博士の島』、或はストーカーの『ドラキュラ』。その後、この想像力はSFへと繋がる。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』をリドリー・スコットが1982年に映画として世に送り出した。その名も『ブレードランナー』。ここに登場するレプリカントたちがそうだ。このレプリカントこそ近未来のフランケンシュタイン(=怪物)ではなかったか? ここでの主人公デッカードはレプリカントのロイの最期の言葉を聞く。それは「生きよ」と促すかのような言葉だった。君は生きているのだろうか。生きていないのだとすれば、その言葉はどこから湧出して、どこへ向かおうというのか。さて、怪物たちは今まで挙げた作品を見ればわかるように気がつけば僕ら自身の表象に過ぎなかった。怪物は僕らではないけれど、限りなく僕らそのものなのだ。『屍者の帝国』でゾンビ=屍者が登場するのもこの系譜において考えるのならなんら不思議ではない。屍者は恐らく宮川淳が言う意味での人間に「似た」ものなのであろう。人の覗く鏡には屍者が映っている。

 この物語が入り組んでいるといったように聞くことがある。それは屍者のNobel_Savage_007(通称「フライデー」)がこの小説を記述しているという設定にも関わらず、主人公のジョン・ワトソン――後にホームズという男とともに世界に名を刻むはずだ――が一人称として語っているように見えることが原因なのだろう。ただ、プロローグとエピローグを読んだ時には円城塔=フライデー、伊藤計劃=ワトソンという構造が自然に浮かび上がってきて、僕らはそこからその複雑さに一つの単純なメッセージを読み取らないといけない。

 ありがとう。(『屍者の帝国』p.459)

 これだけのこと。だが、これ以上が一体なんだと言うのだろう? 伊藤計劃に託されたプロットを引き受けて他の誰かの物語になるはずだったものをほとんど自分のものとして展開する円城が他にどうやって物語を綴れたというのだろうか? 放浪の旅と研究の末「ザ・ワン」は人間の意識を南方熊楠を彷彿とさせるあるものの規制下にあるに過ぎないと確信したことを主人公に語りかける。それが何なのかは是非本書を手に取って確かめてほしいが、僕はここで円城のやり方がわかることを指摘しておく。『ハーモニー』で伊藤は意識を操作することを考えたが、円城はそれに対してそもそも意識とは何なのか、という根本的な問いを発したのだ。故にこの物語で幾重にも言及される言葉とは何か、存在とは何かという問いは全てが伊藤への円城からの応答メッセージとなっている。そして、「思索することは感謝すること」(ハイデガー)という言葉があるように、その思索を与えてくれた伊藤に円城が贈る言葉は「ありがとう」なのだ。これは感謝の気持ちを綴ったラブレターだ。僕らは円城の問いをともに考えることで伊藤にこのラブレターを届かせていこう、祈るようにして。

 #前半部の記述は怪物表象に詳しい高橋敏夫氏の記述の多くを参照している。氏はこの本にかような評価を与えることができるきっかけを与えてくれた。甚大な感謝を捧げたい。

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