こうしてお前は彼女にフラれる

  • 『こうしてお前は彼女にフラれる』

  • ジュノ・ディアス
  • 新潮社
  • 1,995円(税込)
  • 2013年8月刊
  • どうしていつもうまくいかないのか。著者の前作にも登場した浮気をやめられないモテ男ユニオールを主人公に、彼と女性たちの関係を描く、ピュリッツァー賞作家による短編集。

最優秀推薦文

悲惨と永遠の、その狭間の

推薦文No.7-1
立教大学文藝思想研究会

 「何事かを失わずに生きることが出来るだろうか?」
僕達がその疑問にぶち当たることは、恐らくこれからの人生を通して幾度でもあるだろう。そしてその度に僕達は愚問だと己を嗤い、肩を落とし、「がっくりと下を向」き、溜め息を吐くかもしれない。或いは涙を流すかもしれないし、時に自らの生を呪うかもしれない。
 僕達は学生だ。社会へ、世界へ繰り出すスタートラインに立っている存在。そのように見ることも出来る。けれど現実にはとっくの昔に人生という奴はスタートしていて、僕達は既にその流れの中に身を置いている。そしてその流れは無慈悲な程に速い。まるで暴れ川だ。そんな中で何かを失わずに生きるなんて不可能だ。そして人は弱いもので、失う空虚に耐えることが出来ない。欠落に耐えられない。それが為に得ることへと走る。手に汲んだ水が零れ落ちるように、いずれ失われるものと何処かで解っていても、得る為に走るのをやめることは出来ない。それはこの本の主人公だって同じことだ、「こうしてお前は彼女にフラれる」。
 ドミニカ系アメリカ人の主人公ユニオールは浮気を繰り返す。これでもかと繰り返す。それが悲劇しか生まないことを解っていながらそれでもなお浮気に走る。そして、恋人を失う。失い続ける。そんな彼とその周辺にまつわる9つの連作短編小説が、この本を構成する。ユニオールの行為は多くの人々の眼にはこの上なく愚かしく映ることだろう。しかし果たして、僕達読者の中に、その愚かしさを嗤うことの出来る人々がどれだけ居るだろうか。幼少期に父親を失い、次いで青年期に兄を失う。最も近い肉親の死、永遠に運命付けられた喪失。何を得ても、ついにその穴は埋まることがない。彼らの跡をなぞることで、その空虚をほんの一時的に満たそうとする。満たされた気になる。満たされない。それは悲惨だ。限りなく悲惨だ。失った彼らの共通項が浮気であったことは皮肉以外の何ものでもない。二重の喪失。失うことを決定付けられたユニオールは、「彼女」という自らの関係性を際限なく失い続ける。そして得に走る。果てしない悲惨。僕達がユニオールを嗤えないのは、その中に普遍的な人生のひとかけらを見るからに他ならない。ジュノ・ディアスの道化た文体は、その悲惨をむしろ一層際立たせる、憎い程の演出効果をもたらしている。
 人生は無限の喪失であり、同時に喪失を決定付けられた獲得の連続だ。人はそれに耐えなければならない。でも耐えられない。それでも失うのを止めることは出来ない。では僕らは、人生に絶望したまま諦めなくてはならないのだろうか?
 答えはノーだ。
 決まっている。断じてノーだ。希望を持つこと、こればかりは諦めてはならない。一人の男とその絶望的な泥沼を通じて、嫌と言うほど人生への失望を書いておりながら、そのことだってちゃんと示さないではいないことに、作者ジュノ・ディアスの凄味が現れているのではないかとすら思う。どんなに人生がクソみたいだって、その最後の砦すら失ったら駄目なのだ。もう人は盛り返すことなんてなく無限に落ちてゆくだろう。ユニオールは過去を振り返りながら、未練がましいどうしようもない態度で――それは当人にも解っているのかもしれない――振り返りながら、「失われた」という過去の傷跡をなぞり、「がっくりと下を向く」。それでもなお、前を向くことだけはやめようとしない。僕達は繰り返される悲惨とその果てしなさ――永遠の中を生きる。それでも先へ踏み出さなきゃならない。何故なら僕達の前に長く長く続く永遠は、悲惨の構成要素であるだけに留まらない。
 しかしそれでもまだ僕達の殆どは判らない。人は襲い来る世界という空間の中で、時にそんな不確定な「希望」に身を預けられる程強いのだろうか? でも答えは解っている筈だ。ただ読んで欲しい。この本の中に、既にそれは示されている。

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