フラニーとズーイ

  • 『フラニーとズーイ』

  • サリンジャー
  • 新潮文庫
  • 680円(税込)
  • 2014年3月刊
  • 人の未熟さやエゴに苛まれて宗教書に救いを求め、同時に自らも独善に陥り苦しむ妹と、ユーモアと才気溢れる対話で彼女を救い出す兄。残酷で優しいサリンジャーの名作。

フラニーとズーイと私とあなた

推薦文No.16-1
関西大学 現代文学研究部

 あなたはまだ若さを喪っていないだろうか。もしまだ、あなたが若さを喪っていないと云うのなら、この小説はあなたにとって至高の一冊になるかもしれない。そして、若さを喪ってしまったあなたにとってはまた別の読み方ができるのかもしれない。この小説は、魅力溢れる独特の文体で書かれた、そういった種類の小説である。

 J・D・サリンジャーによる、グラス家の7人兄妹についての小説群、グラス・サーガ。その中の一つ、末妹のフラニーとその兄のズーイについての物語が本作である。
 読んでみると、一見宗教性、神秘性が強く、難解に感じる本作だが、そこには素晴らしい家族愛、うわべのそれとはまた違うものが溢れている。グラス家の次男バディー・グラスが、フラニーとズーイのことを「散文によるホーム・ムーヴィー」のように記録した小説という構造の本作において、バディーが云うには、本作は「神秘的な物語でもなければ、宗教的に神秘化された物語でもない」、「集合的な、ないしは複合的な、そして純粋にして入り組んだラブ・ストーリー」なのだ。

 周りのエゴに、そしてなにより自らのエゴに悩み、宗教書に救いを求めて引きこもってしまうフラニー。フラニーに言葉をかけることで救おうとするズーイ。ズーイもフラニーの悩みがわかるからこそ、根気強く言葉をかけ、説得する。当人たちにしか理解できない、家族間独自の血族語を駆使する二人の会話には、溢れんばかりの愛が感じられる。
 エゴへの葛藤、抜け出せない自己矛盾、どうしようもない焦燥感、そういった悩みは誰しも(若い時には特に)多少は持っているものである。そのことに悩む苦しさを、フラニーとズーイの会話は、優しく包み込んでくれる。自意識過剰で、他人にも迷惑をかけている自分がどこか間違っているということを、自分で理解し、何度も逡巡したうえで苦しんでしまう、余りにも自覚的なフラニー。私がこの小説『フラニーとズーイ』の推薦文というある種「インチキな」ものを書くことは、フラニーにとっては罵倒の対象となるだろう。そんなことはわかっている。私たち読者は、肥大した自意識に悩む彼女を見ることで、自身のことについて考えざるを得なくなる。そして、自分たちのことを「フリーク(見世物の異形人間)」と評し、俳優として演技をすることを選んだズーイの言葉が私たち読者、フラニーと同じような悩みを持っている人、かつて持っていた人、これから持つことになる人、これからも一生持たないであろう人も含めて、フラニーとズーイの言葉に救われることはないにしても、なにか――なにか響くものがあるのではないかと私は考える。
 フラニーにズーイがいるように、あなたにもそういった、どうしようもないほどに悩んでしまう時に、言葉をかけてくれる存在があると良い。そして、あなたがズーイのように、フラニーへの言葉を紡ぐことを、私は祈っている。
 最後に、ズーイの小説中での最後の言葉を引用させてもらうなら、
 「僕はもうこれ以上話せないよ、ほんとに」

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