すべて真夜中の恋人たち

  • 『すべて真夜中の恋人たち』

  • 川上未映子
  • 講談社文庫
  • 691円(税込)
  • 2014年10月刊
  • 人と言葉を交わすことも苦しい、そんなひとりの校閲者の静かな恋には、けれど一回限りのこの恋にかけがえのない希望と絶望を抱いてしまう真剣さがたゆたっている。

言葉に揺蕩う

推薦文No.8-2
中央大学 文学会

 すべて真夜中の恋人たち、と題されたこの小説は、「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。」の一文からはじまる。本を開き、タイトルの書かれた標題紙を捲り、そうして目に入る最初の一ページには、物語が進むわけでも、登場人物の説明がされているわけでもない、特に意味のない言葉や文章がつらつらと羅列されている。
 この小説の語り手である入江冬子は、閉じた世界で生きている。彼女は大学を卒業した後に就いた出版社を、人間関係を理由に辞め、フリーランスの校閲者になる。以前働いていた会社の編集者に、仕事の斡旋をしてくれる校閲局の女性社員、石川聖を紹介してもらったことがきっかけだった。聖は美人で、仕事ができて、誰に対しても物怖じせずはっきりとものをいう性質を持っている。それに比べ冬子は、地味で、静かで、自分ひとり完結した世界で生きている。
 冬子は日々、聖から送られてくる原稿をひたすらに校閲する。感情を動かさず、文章にのめりこまず、ただ間違いを探すことだけに集中して、一日中机に向かっている。そんな毎日の合間に、彼女はカルチャーセンターに足を運び、そこで三束さんと出会った。高校で物理を教えているという三束さんと、何度か喫茶店でお茶をし、校閲や光や音楽の話をし、そうして冬子は三束さんに惹かれてゆく。
 この小説は閉じた世界で生きる冬子と、そんな冬子に関わる聖や三束さんとのつながりを、淡々と描写している。作者の主張が明確に提示されているわけではない、読むことで強い衝撃を受けるわけでもないこの本は、しかしだからこそ、文章のつらなりの美しさがきわだち、言葉が心中に浸透する。
 「集中すればするほど、目のまえの文字がばらばらと好き勝手に動きだして逃れるようにしてこぼれてゆき、わたしはそれをひとつひとつつまんで紙のうえにもどして整列させた。」
 上の一文は、冬子が校閲をしている際の描写だ。原稿の間違いを探す、という校閲の作業を、上記のように美しく独特に、不自由なく表現できる作家は、どれほどいるだろうか。
 大学生活は「人生最後のモラトリアム」と表される。論文やレポートを書くために、学術的に価値のある本を読み統計資料を漁るのも当然大事なことではあるが、モラトリアムにある今の時期こそ、意味なく、けれども美しい言葉の海に揺蕩う、最後の機会ではないだろうか。
 閉じた世界にいる冬子の、聖や三束さんと関わりしだいに変化してゆくさまを、文章に身をまかせ淡々と追ってゆく。そうして、「すべて真夜中の恋人たち」の言葉に集約された、冬子に起こったひとつの結果を、ぜひとも見届けてほしい。

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