都立桜の台高校帰宅部

  • 『都立桜の台高校帰宅部』

  • 大野敏哉
  • リンダブックス
  • 680円(税込)
  • 2013年11月刊
  • 周囲に馴染めないジュンタは、屋上に続く階段の踊り場でテツヤ、レイと出会い、帰宅部を作ることになった。不登校のカンを仲間に入れた、4人の何もしない夏が始まる。

最優秀推薦文

ちょっと待てよ。まだはやすぎるんじゃあないか?

推薦文No.13-1
関西大学 現代文学研究部

 何がって? この本の出版が、だ。

 物語の舞台は二〇一二年、桜の台高校。なんの変哲もない、この都立高校で、少年ジュンタは「帰宅部」にはいる。
 「何もしない」をあえて「してみる」。この部活のポリシーは「何も目標を持たないこと」そして「お互い干渉しないこと」。
 語り手のジュンタは話さない。序盤殆どセリフが出てこない。そこそこの毎日を送っている自分がとんでもなくつまらない人間に思えて、痛いこともつらいことも嫌なくせに悲劇に憧れている。帰宅部のみんなを知りたいと思っているのに、知ったところでなにも出来ないと聞きはしない。何かを思っていても声には出さない。そんな男子高校生だ。
 緩々と始まった帰宅部活動は、じわじわと、そして気付く時は突然に、形を変えた。
 「私、実はもう死んでいるんだ」そう囁いた帰宅部の一人、レイは福島からの転校生だった。
 
 東日本大震災後、三年も経たずにこの本は出版された。

 ちょっと待てよ。はやすぎるんじゃあないか。物語の核心まで読んだ瞬間、そう思った。
 まだ「思い出す」ものじゃない。「今も苦しめる」ものだから。
 少年少女の青春物語というには、「震災」は、テーマも内容も生々しすぎるし、重すぎる。
 そう思いながら、読み進めた。そして、考えた。
 「あの時」、あの感覚は筆舌に尽くし難い。高校生としてあの震災を感じたのは、私たちの世代だけだ。
 今、大学生としてモラトリアムを謳歌している私たちは、どんな高校時代を送ってきたのだろう? 部活に一生懸命だったのだろうか。勉強に精を出していた? 趣味に没頭したり、友達と遅くまで話したり......。あー、楽しかった。って、思いながら眠りにつく。
 きっとそんな人ばかりじゃない。毎日が単調で、平坦で、波風立たせず。誰にも関わらず、何にも頑張らず、頑張れず。こんな人生でいいのかって、漠然とそう思っていた人もいるのではないだろうか。本当の自分はこんなもんじゃないって。
 劇的な何かを求めたことは一度もないのだろうか。この人生を変えるような何か。
 ただこの社会に埋もれていく、一部の破片にはなりたくない。
 その「劇的」が、例えば悲劇でも、起こってみてほしい。私自身、そう思ったことはない、とは言い切れない。ジュンタのように。
 
 私たちが学生から社会人となり、十年後、二十年後、仕事に追われ、家事に追われ、記憶が薄れ、この本を読んだとしたら、何と思うのだろう。きっと、テーマには深く触れず「ああ、そんなこともあったね。あのころは大変だった」と、淡々と、残酷に、さも「終わったこと」として、「そういえばLINEってあったね」とか言いながら、ただの青春小説として、読み終えてしまうのだろう。阪神淡路大震災のニュースを見てみると、ほら、当事者以外は、「過去の震災」って話している。こうならないと、誰が言える? 悲劇を願ってみたあの頃の自分たちはもうそこにはいない。
 今読まないと、きっと、「あの時」の感覚はただの情動の記憶となっていく。それが私は、少し怖い。
 物語が進むにつれ、ジュンタは変わっていく。悲劇を見て、悲しくなった。「不干渉」という帰宅部のポリシーを捨てて、知りたいものを知ろうとした。言葉で伝えようとした。「何をしてやろうか」と、考え始めた。主人公たちの言動は、「あの時」の私たち自身の代弁だ。
はやすぎるとは思う。しかし、はやすぎる今、感覚が風化する前だからこそ、出すことに、意味が、意義があるはずだ。
 今を生きる大学生へ。高校時代、3.11を目の当たりにした人たちへ。今、この時代にこの本が送り出された意義を、是非読んで考えてみてほしい。

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