都立桜の台高校帰宅部

  • 『都立桜の台高校帰宅部』

  • 大野敏哉
  • リンダブックス
  • 680円(税込)
  • 2013年11月刊
  • 周囲に馴染めないジュンタは、屋上に続く階段の踊り場でテツヤ、レイと出会い、帰宅部を作ることになった。不登校のカンを仲間に入れた、4人の何もしない夏が始まる。

イデアの向こう、その先へ

推薦文No.13-2
中央大学 文学会

 人と人が手を取り合い、絆を深める。
 この文章はどこか嘘くさく、理想的で、虚しく感じる。それは現実的に難しい問題だからだ。
 『都立桜の台高校帰宅部』では、その難しさと、優しい問いを描いている。
 この小説に登場する部員の四名はどこか孤独な少年少女ばかり。ジュンタは自らの世界の崩壊を望み、テツヤは「異星人」と呼ばれる部員と折り合いがつかない。そしてカンは引きこもりで、レイは福島から来た一人ぼっちの少女だ。
 この小説では、かの有名な哲学者・プラトンの思想の一つ、『イデア』が出てくる。
 我々が生きる現実の世界よりも上の次元のことである。いわゆる「本当」であり、「現実」ではない。
 震災によって生じた凄まじい光景。テレビを通してしかその真実を知らない人もいる。ジュンタはそういう人間だった。私もそうだった。だから、心のどこかで、あの震災は『イデアで起きた世界』だと思っていた。
 しかし、被害に遭った人からすれば、あの日の出来事は現実に起きた話だったのだ。『イデア』ではなかったのだ。
 福島からの転校生・レイにとって、3.11とはそういう出来事だった。現実に起きた出来事だったのだ。
 両親を失くしたレイは他人の熱を求めた。身体の熱を求めた。だから、セックスを求めた。現実から目を背け、「とっくのとうに死んでいる」自分を放棄し、リリーという偽りの少女として生きようとした。
 物語の中盤から、帰宅部の部員たちには一つの繋がりが出来ていた。
 イデアに囚われたレイを救い出す。
 その想いと感情が、ジュンタ・テツヤ・カンを動かす。彼らの中に絆が生まれた瞬間だった。
 身体の繋がりという偽りの絆ではなく、心の繋がりでレイを救おうとするジュンタの行動からは目を離せない。
「それはどこかにあるかもしれないイデアの話じゃない。現実の話だ。」
231ページ後半。この一文から綴られる文章に、あなたはきっと現実の世界を目にすることになる。『イデア』がもたらす出来事ではない、現実の出来事を。
「二〇一一年、三月十一日、午後二時四十六分。大きな地震が起きた。」
 フィクションかもしれない。この小説は確かに創作物だ。しかし、地震は実際に起きた。それを私たちは痛いほどに知っている。
知っているのに、知らない。
 その現実を、ジュンタとレイの会話が私たち読者の前に持ってくる。
「ねぇジュンタ、ちゃんとイメージして」
「寒いんだよ」
 レイによる言葉は、綴られた文章は、フィクションだ。しかし、その文章の背景にあるのはイデアではなく現実だ。
「『現実』はつらい。でも、『本当』は優しい。いつだって。」
 この文章から続くジュンタの一人称による想いは、読者である私の概念――イデアを変えた。
 どうしたって自分たちが生きている世界は厳しいし、辛い。嫌なことがあるから生きていたくないと心の中で叫び、死にたくなる。だからこそ『イデア』があってもいいと思うときもある。
 しかし、自分の生きている世界は現実だ。戦わなければならない。戦って勝たなければならない。勝ちたいと誰もが願う。
 物語の終盤、そんな『イデア』的な居心地を提供してくれた帰宅部は終わりの時を告げる。
 部員四人が全員、イデアから抜け出し、『現実』と戦うと誓ったからだ。
 ようやく手に入れた、人との繋がり。
 彼ら四人は、その繋がりから旅立った。一人一人が『現実』と戦うために。
 とてつもなく厳しい物語だ。それ故に、ひどく優しい物語でもある。
作者の大野敏哉は、私たち読者に向けて優しいメッセージを残している。
「で、僕は......さて、これからどうしよう」
「何をしてやろうか。どこに行ってやろうか」
 物語の最後のページ――255ページ。
 ジュンタはそういった言葉を残した。
 大野敏哉は、私たちに言う。
「この物語を読んだあなたは、どうする?」と。
 あの日から四年が経過した。世界は激動に満ちている。
 さあ。
 僕らには、なにができる。なにをしてやろうか。

 小さな文庫本が、あなたに問う。

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