福島の文学―11人の作家

  • 『福島の文学―11人の作家』

  • 宍戸芳夫・選
  • 講談社文芸文庫
  • 1,836円(税込)
  • 2014年3月刊
  • 東日本大震災、そしてそれに伴い起こった福島第一原発事故の悲劇から3年。草野心平他、福島に縁をもつ作家11人の作品を収めた、福島独特の文学を今に伝える作品集。

私たちの福島の文学

推薦文No.15-1
法政大学文学研究会

 この本は、一冊の「小説」である。

 もちろんこれは実感であって、事実ではない。草野心平、水野仙子、久米正雄、宮本百合子、中山義秀、東野邊薫、吉野せい、斎藤利雄、真船豊、島尾敏雄、埴谷雄高。11名の作家の詩、また短編を収録しているのであり、それぞれの作品は元々独立している。当然である。それでも私は冒頭の語弊を、あえてする。

 「福島の文学」とはなんであろう? この題を見るとき、私はそう疑問せずにはいられなかった。はたして「福島の文学」なんてものがあるのだろうか。あるとすれば、それはどういったものなのか――ただ福島に縁を持つゆえに作者たちが書き得た作品である、と言われても、私にはノスタルジーに浸りたい人間が、風土という共通項でくくりつけ、無理に継ぎ接いだ悲しいエゴではないか、といぶかっていた。

 ノスタルジー、望郷の念、それは人間がふるさとを離れたときに思う、痛切なまでの孤独の相だろうか。たとえ悲しいエゴだとして、無理もないではないか。
 2011年3月11日。
 東日本大震災による被災と福島第一原発事故により、この日を境に、故郷を失う人間があった。喪失と言っていいのかはわからない。だが、それまで当たり前に包み込んでいた景色や人々のつながりの多くに、別れを強いられた人たちがいる。そしてその問題は今日に依然続いている。終わることなどないかもしれない。

 終わるわけがない。だからこそ私たちはこの一連の問題の只中にあって、物の真実を見極め、求めようとしないことは、より大きな問題を産み落とすことを知覚しているはずだ。ただ方法が見えず、あるいはただ無気力のせいもあるだろうが、それに対する抵抗の足掛かりにこそ、私はこの本を推薦する。その結果、直視せられるのはひとつに故郷喪失の問題かもしれないし、それに伴うアイデンティティに対する問いかもしれない。これは私の場合であって、もうなんだって、いい。福島という現実に引き付けて、読む人間それぞれの気付きが得られるならば。

 この本は「福島の文学」たる所以を、作者の思想や原風景に福島、あるいは福島のエッセンスを持っていることに求めているが、その福島像を解するためには読み手独自の省察が必要だと思う。また、文学のなにより大事な要素(私的には小説という表現形式によって思想や理想を表すことであり、またそれによって人生を高めようと意志する作者の姿勢だが、諸説あるのでここでは割愛する)を前にして、風土とは事実取り上げられる必要の少ない要素であることは選者も「解題」の中で認めているところだ。

 まったく、それは無用な配慮ではないだろうか。この本は、この時節に、『福島の文学』として刊行されたのである。それが最も喚起するものが、現在の私たちにとっての「福島」でなかったら、この本は初めから生まれていないではないか。ノスタルジー、悲しいエゴ、たとえそれらを背景としていても、どうして差し控えるわけがある。のっぴきならない孤独の問題を背負った「福島」とそこに根差した「福島の文学」の喚起の力を信じるからこそ、この本にいのちが宿り、新たな価値を伴って私たちの前に表れたのだ。だから、この本は11名の作品を編むことによって書かれた一冊の「小説」なのである。

 しかしこの本は大学生に限定して読んでほしいと、とりわけ思うのではない。一般に広く知られ、読まれ、考えていくことを強く期待するからこそ、大学生もその例外にないというだけだ。だが、若く、変化に強く、これからもっとも長期に渡り大きな社会を形成していく私たちが先駆けてこの本の価値を認めることは、ひとつの大きな運動となって、長く、良い影響を生み出すことに繋がり得るのではないかと考えている。そういった意味においてだれよりもまず初めに、大学生のあなたに、私は『福島の文学』を推薦したい。

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