小説 言の葉の庭

  • 『小説 言の葉の庭』

  • 新海誠
  • KADOKAWA
  • 1,620円(税込)
  • 2014年4月刊
  • 雨の日の午前中のみ公園で会う美しい女性に、少年は少しずつ恋に落ちていく。映画では描かれなかった過去や脇役にも大きくスポットを当て「言の葉の庭」はここに完成する。

中途半端な私たち

推薦文No.6-1
関西大学 現代文学研究部

 大人になるのはいつからなのだろうか、あるいは、自分は大人なのだろうかと一度よく考えてほしい。
 20歳になったら法律的には大人と認められていろいろな権利や義務が発生する。けれど、それは本当に大人になったと言えるのだろうか? 大学生は大人なのだろうか?
 私自身、成人してしばらく経つがまだ大人だという実感はあまりない。それは一体何が原因なんだろうか? 成人しているのに大人だと思えない理由は大学生だからなのだろうか?
 以前大学の講義で、大学生は自らが大人である自覚を持てなくなってきているという調査結果が出たと言っていた。それは母親の権威が高いことや、かつては存在した、政治や社会問題に対する高い関心など、大学生ならではの課題が消失したことと関係していると言われていた。大人という自覚が失われているのは、かつての大学生よりも恵まれた環境にある代償なのかもしれない。
 ある時にはもう大人なのだから子ども扱いはしないでほしいと言いながら、また別の時にはまだ社会に出ていない子供だと言って逃げることが出来てしまうのが大学生という微妙な立場だと思う。
 しかし、社会に出るようになったら子供のままでいることは認められずに、大人にならなくてはならない。けれど、そんな状況でも大人になりきれてはいない「大人」も一定数存在するだろう。そんな「大人」にならないためには、大人という存在のことを考える必要があると思う。

 この小説の軸となる登場人物は、中学一年生の時に母親からもう大人だと言われた秋月孝雄とその彼と雨の日にだけ会うスーツ姿の女性、雪野だ。どちらも大人という存在から少し外れている存在ともいえる。大人と認めてもらえたものの、実際にはただの高校生にすぎない孝雄。そして、大人の義務のひとつである勤労から距離を置かざるを得なかった雪野。
 その他の登場人物たちも、夢を追う学生の彼女にどこか嫉妬しつつ仕事の波にもまれているサラリーマンや、大切な人の異変に気付けなかった体育教師、社会人と高校生の子供がいる上に一回りも年下の彼氏と交際している大学職員と、曖昧で複雑な大人という存在について考えさせられる人ばかりだ。彼ら全員が私たち大学生と近い存在だからこそ、共感できるところがあると思う。

 社会に出ていくカウントダウンの真っただ中にいて、思春期の頃を若かったと懐かしむにはまだ早い、そんな中途半端な大学生の私たちにこそ、この本を読んでもらいたい。
 読んで、大人という存在について考えて、自分がどういう大人になるべきなのか一度考えてもらいたい。

推薦文一覧へ戻る

最終候補作品

候補作品