降矢ななのスロヴァキア通信

中央ヨーロッパの小国、スロヴァキア共和国在住の絵本作家・降矢なな、初の月刊エッセイです。‘92年に同国のブラチスラヴァ美術大学へ留学して以来、紆余曲折を経て(笑)、現在はペジノックというワインの産地の街に、スロヴァキア人で画家の夫と7歳の娘と共に暮らしています。スロヴァキアからの便りをどうぞお楽しみください。

第17回 ランゲ・バッパー・マジック 後編

劇団長のヤンさん
劇団長のヤンさんです。

アントワープの裏道
アントワープの裏道。こんなところを通って人形劇の会場へ向かいました。

青髭人形
舞台裏の人形たち。迫力ある青髭人形でしょう。

舞台の一部
舞台の一部。

最年長の団員、ベレケさん
最年長の団員、ベレケさんです。彼女は劇団創立時からのメンバーです。

人形制作担当のルードヴィッヒさん
人形制作担当のルードヴィッヒさん。彼も創立時からのメンバーです。伝統的な人形劇団を作ろうと、ヤンさんに最初に持ちかけたのがルードヴィッヒさんなのだそうです。

ヤンさんの自宅玄関先にて
公演の翌日、アントワープ郊外のヤンさんの自宅に招かれました。玄関先に立つヤンさん。

玄関のプレート
玄関にはこんなプレートがかかっていました。

若い頃のヤンさん人形
ちょっと若い頃のヤンさん人形。ヤンさん御本人と並んでツーショットを撮らせていただきました。

『人形劇団ランゲ・バッパー』今宵の演目、第一部はロシアン・マフィアの話。
レンガ造りの壁に囲まれた地下室のベンチにすわり、開演を待つ私たちの前に、6名の劇団員たちが現れた。団長の挨拶、そしてアコーディオンの伴奏に合わせて、メンバー紹介の歌が陽気にはじまった。彼らが手ぶり身ぶりを入れて唄えば、観客たちもいっしょに繰り返しのフレーズを合唱し、ひんやりしていた地下室もたちまち暖まりだす。歌が終わって、いよいよ人形劇の始まりだ。

舞台の幕が上がると、あの写真と同じ場面、ぶこつな人形たちが現れた。人形たちの動きは、ぶこつな顔にふさわしく、かなり大雑把である。いきなり飛び上がって両足蹴り(片足蹴りのような複雑な動きはできない)をくらわせ、ドテーンと床に倒れこんだり。
だけど会話がおもしろいらしく、お客さん達がくすくす笑っている。トムさん曰く、今日の観客の誰かのことを話題に入れて、内輪受けをねらったりもしているらしい。情けないことに、彼らの言葉の解らない私には、さっぱり理解できない。ただ、人形のコスチュームや動きであらすじを追うしかない。

この夏に観た『プラハ国立人形劇場』の演目"ドン・ジョバンニ"は、観客のほとんどがチェコ語を解さない外国人観光客だった(韓国人の団体ツアー客が多かった)。だから、初めから終わりまで言葉を解す必要のない録音されたモーツァルトの歌劇曲にあわせて演じられていた。人形の作りや衣裳、舞台装置は、さすが職人技の仕事だったし、観客へのサービス精神も充分だった。だけど、アドリブ無し、観客との生のコミニュケーション無しの人形劇に、少々物足りなさを感じたのも正直な気持ちだった。スルスルと物語が流れていってしまう物足りなさ。

その点、作りは素人レベルでも、その場での掛け合い熱演をくりひろげる『ランゲ・バッパー』には、人間味があった。ふるえたり、詰まってしまったりすることを含めての息づかいが。だから余計に言葉がわからないことが悔しい。

ストーリーは、女主人の経営する街の居酒屋をロシアのマフィアが乗っ取ってしまう、というもの。警察もだらしなく(というよりマフィアの手先なのかも)、女主人の抵抗むなしく、居酒屋はたちまち赤いライト、壁には南国植物の造花、という妖しげなお色気バーに変わってしまうのだった。最後にはマフィアの内部抗争なのか、何台ものマシンガンが炸裂、マフィア全滅のおしまい。何とも荒っぽい結末であった。

第一部が終わると休憩タイムが入った。観客たちはぞろぞろと階段を上がっていき、どうやら上の居酒屋で一杯やるらしい。熱演の団員たちにも居酒屋からトレーに乗せられたお酒のグラスが差し入れされる。『ランゲ・バッパー』は観客から料金を取らない。ここの地下室で公演して、報酬は居酒屋からのおごりの1~?杯のみ。居酒屋にしてみても観客が休憩時間に飲みに来てくれるし、文化活動の一端を担っていることは満更でもないのだろう。

劇団のメンバー達は、他に本職を持っていたり、年金生活者だったりする。言ってしまえば『ランゲ・バッパー』は素人の人形劇団サークルなのだった。公演してお客を楽しませることと、一汗かいた後の一杯を喜びに、20年も続いてきた。

プラハ国立人形劇場と比べること自体がナンセンスなのかもしれない。しかし、この荒削りな劇団の公演に、プラハでは乏しかった、人形劇の原点が見えた気がしたのだ。原点などと書くとずいぶん大仰だが。

人形劇は、人間にしかできないとても高度な表現手段だと思う。直接喋ったり、動作で表しても良いものをわざわざ人形を通して見せるのだから。人形を使うことで、表現効果は複雑になる。なぜなら、人間(=現実)の表現が、ほんとうは動かない人形を生きているように見せることで、非現実を生み出し、そこに夢とうつつの2重空間が出現するからだ。だから、夢と現実の境が曖昧な小さい子どもにとって、人形劇はすんなり入りこめる世界なのだろう。

しかし、表現効果が上がるか下がるかは、人形を操る人間しだいなのではないだろうか。よっぽど面白い人形や視覚効果を演出すれば別だろうが。
人形しか見せないのにもかかわらず、人形劇にとってほんとうに重要なのは、それを演ずる人間の体温や息づかい、のめり込む気持ちなのだと思う。『ランゲ・バッパー』の公演からは、それが伝わってくるのだ。洗練とは言いがたい実直さで。

それにしてもどうしてヤンさん達はアントワープの伝統スタイルを守る人形劇団を立ち上げたのだろうか?。その理由の一つをヤンさんはこう語った。「以前、仕事の都合でアメリカに住んだ時、それまで当たり前だったアントワープの生活や伝統が、とても大切なものに見えてきたんだ」。劇団名にも使っている伝説の魔物バッパーは、ここに根ざすものの象徴なのかもしれない。

第2部は「青髭」が上演され、終わるのは夜中の12時頃だという。大の大人が、演じる方も観る方も、夜中まで人形劇とお酒を楽しむのだ。何て豊かな大人の時間なのだろう!。なのに残念ながら、私たちは宿へ帰る列車の都合で、第2部を観ずに『ランゲ・バッパー』とお別れしなければならなかった。それで特別に休憩時間中、舞台裏を覗かせてもらえることになった。

人形たちが並んで吊り下げられていた。革ジャンとサングラスのロシアン・マフィア、伝統的なキャラクターの「でか鼻」、そしてひとまわり大きめの青髭......。人形作り担当のルードヴィッヒさんが、警察官の人形の服を指差して「この金ボタンは昔の軍隊の制服から取って使っているんだ」と自慢げに説明してくれた。

人形の頭や手足は紙粘土細工などではなく、木製である。しかし、プラハの人形のように「ノミの削り跡が美しい」とはお世辞にも言えない。デコボコした顔に絵の具はべったり厚塗りしてあるし、手なんて日用大工の余り木片に、かろうじて指を表す溝が何本か彫られているだけ。しもじみ「ぶこつだ」と思った。

だけど、人形たちに私は「あんた達、しあわせもんだねぇ」と言いたかった。
この劇団の人たちに愛されて、彼らは生きている。と同時に、この人形たちの周りで、人間たちの人生も豊かに回っているのだ。

ランゲ・バッパー・マジック......。
人々が酔いつぶれて眠ってしまった後、この人形たちも密かに一杯やり始めるかもしれない。きっとそうに違いない。

追記1:
公演の翌日、私たちはヤンさんの自宅に招かれ、待望のバッパー人形と対面することができた。おまけに奥様の手料理までごちそうになってしまった。私は、来年バッパーの絵を描くことになっている。ヤンさんやアントワープの人の納得できるバッパーが描けるのだろうか、ちょっと心配。

追記2:
チョコレート買いました...。

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降矢なな(NANA FURIYA)

1961年東京に生まれる。スロヴァキア共和国のブラチスラヴァ美術大学にてドゥシャン・カーライ教授に師事。石版画を学ぶ。主な絵本に「めっきらもっきらどおんどん」「ちょろりんのすてきなセーター」「ちょろりんととっけー」「きょだいなきょだいな」「おっきょちゃんとかっぱ」「あいうえおうた」「ねえ、どっちがすき?」「まゆとおに」「まゆとりゅう」(以上福音館書店)、「赤いくつ」(女子パウロ会)、「おれたち ともだち!」シリーズ…9月に最新刊「きになるともだち」刊行(偕成社)、など多数。

降矢なな作品コレクション

  • ともだちおまじない
    『ともだちおまじない』
    文/内田 麟太郎
    絵/降矢 なな
    1,260円(偕成社)
  • めっきらもっきらどおんどん
    『めっきらもっきらどおんどん』
    作/長谷川摂子
    画/ふりやなな
    840円(福音館書店)
  • ともだちや
    『ともだちや』
    作/内田麟太郎
    画/降矢なな
    1,050円(偕成社)

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