降矢ななのスロヴァキア通信

中央ヨーロッパの小国、スロヴァキア共和国在住の絵本作家・降矢なな、初の月刊エッセイです。‘92年に同国のブラチスラヴァ美術大学へ留学して以来、紆余曲折を経て(笑)、現在はペジノックというワインの産地の街に、スロヴァキア人で画家の夫と7歳の娘と共に暮らしています。スロヴァキアからの便りをどうぞお楽しみください。

第20回 12年間

2000年3月
2000年3月。私とまだ赤ん坊の七海子。0歳です。仕事場にベビーベッドを置きました。壁には『あしたもともだち』の出来上がった原画が順番に貼ってあります。

2002年12月
02年12月。粘土で作ったクリスマスオーナメントに色を塗っている七海子。3歳です。制作は私の仕事机の上で・・・・・。

2006年5月
06年5月。アトリエで『ともだちおまじない』の絵を描く私です。

2006年5月
それを見ている七海子。6歳です。

2010年10月
10年10月。七海子10歳の誕生パーティー。台所でケーキのロウソクに火をつけているうしろ姿の三人は、右から七海子の友だち、七海子、そして私。ほとんど同じ背丈になってしまった!

『おれたち、ともだち!』シリーズ
『おれたち、ともだち!』シリーズの10冊。結構な高さでしょう。来年はここにもう一冊加わる予定です。

この3月に新刊「ともだちごっこ」が出版された。「おれたち、ともだち!」シリーズの10巻目である。
「これで10巻目になりますね」と打ち合わせをしていた時も、原画を描いている最中も、特別なことは何にも感じていなかった。なのに、できあがった絵本が届き、ページをめくっているうちに、思いもよらなかった感動が湧いてきてしまい、そんな自分の感情に自分で戸惑っている。

シリーズ第1巻目「ともだちや」が出版されたのは、'98年だから、10巻目が出るまでに12年かかったことになる。その12年は、私のスロヴァキア生活が本格的に始まり、結婚、出産......。ここで家族を持ち生活してきた諸々のできごとがギッシリ詰まった年月とほとんど重なるのだ。そんなこともあって、少し感傷的になっているのかもしれない。

第1巻目「ともだちや」の絵は日本で描いている。4年間通ったブラチスラヴァ美大を休学し、一年だけ日本に戻っていたときだった。古い木造平屋の一軒家を借りて生活していた。再びスロヴァキアへ戻る予定日が近づいてくる中、焦りながらものすごい勢いで描き上げた。完成した原画を編集者に渡してから程なく、日本を発ったと記憶している。

第2巻目「くるかなともだち」は、これがシリーズ化されるなどと全く知らなかったので(内田麟太郎さんと編集者は知っていたが......)、プランを聞かされた時は、ひどく驚いた。スロヴァキアで大学に復帰しながらシリーズを続けていかれるのか、心配だった。しかし、私よりももっと不安だったのは、編集者や作者の内田さんだったのではないだろうか。絵描きの渡航先が不便で不安定な旧東欧圏ではなおさらだったと思う。私は心配であった一方で、この先私が仕事を続けていかれるチャンスのひとつだ、という思いもあり、弱気になってはいられなかった。事実、このシリーズが評判になってくれたことは、その後、経済的にも仕事を続けていく上でも大きな助けになっている。

第3巻目「あしたもともだち」の時、私は妊娠していた。出産前に原画を仕上げる約束だったのに、大きくなったお腹が、私と机の間にでんと居座るようになり、苦しくて絵が描けなくなった。仕方なく〆切りを延ばしてもらう。
赤ん坊が生まれてからの私は、慣れない子育てと、仕事の今後に対する不安、プラス美大卒業試験と卒制が控え、異常な精神状態になってしまった。泣き泣き「卒業は無理だから退学する!」と夫に訴え、何度もなだめられた。私の精神は追い詰められた時、ひどく脆い、と身にしみて知った。

そんなとき、「赤ちゃんがいると美容院にも行けないでしょ」と、大学の友だちが美容師の友だちを連れて遊びにきてくれた。ベビーベッドに寝転がる小さな赤ん坊の前で髪をカットしてもらう。やさしく髪の手入れをしてもらって、友だちのあたたかさが身にしみた。

友人や夫に助けられて、私は大学を何とか卒業。その後すぐに描いたのが、第4巻目「ごめんねともだち」だった。

第6巻目の「ありがとうともだち」は、保育園に通い始めたばかりの娘が風邪ばかりひいて園を休み、全く絵が描けず、クリスマス休みに夫と娘だけ実家に行ってもらい、団地で一人絵を描いた。たまたま「メリークリスマス」の電話をかけてきた友人が、私一人と知って気の毒がり、「今からおいでよ」と誘ってくれたが、私はやっと一人になって絵が描ける、と嬉しくてたまらなかった。特にたくさんの小だこを描くことが!

誰でも10年余りの歳月の間にひとつくらい、自分の無力感を痛感し落ち込むことがあると思う。

私にもそういう出来事があり、一時、私は絵本の仕事を辞めたほうがいいのではないかと真剣に思いつめた。しかし、それでは私は他に何ができるのか? と考えたとき、現実的に何も思い浮かばなかったのだ。それって結局、私自身が絵本の仕事に未練があり、自分の望みを捨てきれない証拠だ。本当に絶望していたら、何かを選んでなんかいられないだろう。

あちこちの編集者にご迷惑をかけながら、数年間のろのろと絵本を作った。「ともだちおまじない」「きになるともだち」が生まれた。

そして第10巻目の「ともだちごっこ」。
去年10歳になった娘は、私が何を描いているか気になってしかたがない。アトリエにちょくちょくやってくる。「何描いているのー」「この色きれいだね」。「ともだちごっこ」の絵を描いている横で、ラフを見ていた彼女が、「このテン(・・)、ひどい!」と怒り出した。スロヴァキアにもちゃんといるのだ、テンちゃんのような女の子が。憤慨している娘を横目に、私は心の中で(麟太郎さん、やったね。このお話、大当りだよ)とニンマリしてしまった。

この原稿を書いている私の机の上に「おれたち、ともだち!」シリーズが10冊重なって置かれている。12年間の厚さ。12年間の重み。ともにオオカミ&キツネの友情を育んできた内田麟太郎さんや編集者、出版社の皆の想いがぎっしりと詰まっている。そして、絵本を楽しんでくれた読者の人たち。「ともだちや」の初版本を読んでいた子は、もう大学生なのかもしれない。

そして、このシリーズ以外にもこの12年間に手がけた絵本、童話を積み上げたら、もうひとつ想いの詰まった山ができるだろう。
あらためて、絵本作りを続けてこられて良かったと思う。
皆さん、ほんとうにどうもありがとう。

原画展のお知らせです。
『いそっぷのおはなし』原画展
会場:絵本美術館 森のおうち
〒399-8301
長野県安曇野市穂高有明2215-9
Tel:0263-83-5670
http://www.morinoouchi.com
期間:3月19日(金)~3月18日(木)

どうぞご覧になってください。

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降矢なな(NANA FURIYA)

1961年東京に生まれる。スロヴァキア共和国のブラチスラヴァ美術大学にてドゥシャン・カーライ教授に師事。石版画を学ぶ。主な絵本に「めっきらもっきらどおんどん」「ちょろりんのすてきなセーター」「ちょろりんととっけー」「きょだいなきょだいな」「おっきょちゃんとかっぱ」「あいうえおうた」「ねえ、どっちがすき?」「まゆとおに」「まゆとりゅう」(以上福音館書店)、「赤いくつ」(女子パウロ会)、「おれたち ともだち!」シリーズ…9月に最新刊「きになるともだち」刊行(偕成社)、など多数。

降矢なな作品コレクション

  • ともだちおまじない
    『ともだちおまじない』
    文/内田 麟太郎
    絵/降矢 なな
    1,260円(偕成社)
  • めっきらもっきらどおんどん
    『めっきらもっきらどおんどん』
    作/長谷川摂子
    画/ふりやなな
    840円(福音館書店)
  • ともだちや
    『ともだちや』
    作/内田麟太郎
    画/降矢なな
    1,050円(偕成社)

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